東京ジャーミィで学ぶイスラムの文化

東京ジャーミィ(本日筆者撮影)

ここはトルコではありません。東京都渋谷区の代々木上原です。トルコ人によって、全てトルコの資材で建築された日本最大のモスク「東京ジャーミィ」が、この地にあります。

1917年に起きたロシア革命の後、ロシアのイスラム教徒はさまざまな迫害を受けました。逃れるために中央アジアからシベリア鉄道を通って満州に移って定住し、一部は小規模な商売をしながら韓国や日本で暮らし始めます。そして、1938年にロシア出身のタタール人たちのためのモスクが設立されました。老朽化のため取り壊された後、亡命タタール人たちがトルコ国籍を取得していた縁から、「東京ジャーミィ」はトルコ宗務庁の援助で2000年に開堂を果たしたのです。

礼拝所ですが、イスラム教徒でなくても気軽に訪れることができます。高い尖塔を持ち、内部には色鮮やかなステンドグラスがあるため、アート作品としても楽しめます。休日は午後2時半から見学会を開催しています。本日、「あらたにす」での取材を兼ねて事前に撮影許可もとり、訪ねてみることにしました。

案内してくれたのは、東京ジャーミィ・トルコ文化センターで広報・出版担当を務める下山茂(73)さんです。下山さんはイスラム教徒に改宗した日本人ムスリムです。約10年間ムスリムや観光客を見守ってきました。

入口には「ご自由にどうぞ」と言わんばかりに、本日の飲み物「チャイ」とデーツ(ナツメヤシの実)が。

熱々のチャイが美味しい

このセルフサービスは、イスラム教の賽銭箱からヒントを得たそうです。イスラム教の賽銭箱「サダカの石」は、お賽銭を石の上に置きます。驚くことに、困窮者は石の上のお金を勝手に持って行って良いとされています。お賽銭はアラーの神のものとなり、困っている人々へ分け与えるという考えからだそうです。「全て持って行く人は、来世で地獄に落ちる」。そんな教えがあるからこそ、その昔、信心深いイスラム教徒の間で盗難騒ぎなどは起きなかったと言います。

下山さんは、ヨーロッパを経由してトルコが日本にもたらしたものも教えてくれました。チューリップとカーネーション、それからアラビア数字です。礼拝堂の装飾や貯蔵されているトルコの食器には、茎の短いチューリップとカーネーションがあしらわれています。

下山さんと見学に来たお客さん

礼拝の呼び掛けアザーンが流れたので、2階の礼拝堂に足を運びました。 20人ほどのムスリムがメッカに向かって礼拝をしていた姿からは、厳かな雰囲気が伝わってきます。同時に、息を飲むほど美しいオスマン朝様式の内装に目を奪われました。礼拝堂では、観光客であっても女性はスカーフを身に纏わなければいけません。螺旋階段を上がった先には女性専用席もあります。

礼拝が終わると、先程までコーランを唱えていた聖職者のリファット・チナルさん(39)が来てくれました。彼は11歳の頃に600ページに及ぶコーランを暗記し、今でも毎日読み返しているのだそうです。2人の穏やかなやり取りや、ムスリムの子供たちと握手する姿から、礼拝堂が祈りの場であるとともに対話の場であることを学びました。「イスラム教は全く怖いものじゃない」。下山さんの言葉を借りなくても、一目瞭然でした。

礼拝堂の中

館内には、トルコ文化センターの他に、イスラムの教義に則った食品を扱うハラールショップもあります。現地の食材や、工芸品まで、見たことのない商品に思わず心が躍ります。筆者は礼拝堂を訪れる際のスカーフと、特製のカップヌードルを購入しました。

イスラムの文化をたっぷりと堪能できた、そんな一日になりました。


あとがき

東京ジャーミィが建設されて1年後に第二次世界大戦が勃発し、その後、日本も参戦します。ロシア革命の流血から逃れて出来た東京ジャーミィですが、代々木上原の丘の上から戦争の惨禍を目の当たりにします。「今のロシアによるウクライナ侵攻でも沢山の人が逃げまどっている」。下山さんの言葉が印象的です。昨日今日と、各紙はウクライナ侵攻で持ち切りです。平和ボケした一学生が語ることではないかもしれませんが、状況が少しでも好転することをただ祈るばかりです。

参考記事:

25日付 各紙朝刊 1面