■いま必要な「文理融合」「学際的な学び」
今朝の朝日新聞の教育情報誌「EduA」に載っていた「『文理の壁』を壊す」という特集。日本は文理が交わることが少ない、という問題が提起されていました。いま直面している課題を解決するには、学問の枠を超えた横断的な知識や考え方が必要不可欠なのに、その態勢が整っていないというのです。
筆者はいわゆる「文系」の法学部に所属していますが、最近は理系的な視点が必要だなと感じることが多くあります。例えば、環境問題。法律的な視点から解決策を探ろうとしても、必ずその先には自然科学の世界が登場します。実際に解決に乗り出すとなれば、その分野に明るい方々と専門知識を踏まえた議論を交わすことになるでしょう。
気候変動や新型コロナウイルスもそうです。どういった政策を取るべきか考えるとき、そもそも問題視されていることが本当に問題なのかが気になってきます。しかしエビデンスとなる資料を読み解こうとしても、自然科学系の知識が乏しい筆者にとっては、いかんせん難解で読みづらい。「理系っぽいな」と感じただけで諦めてしまうこともしばしばです。法律に加えて他の専門分野まで深く理解するのは難しい。そう決めつけてしまっているところもあります。
文理の壁を壊すには、何が必要なのでしょうか。
■「複数の学問的視点」を大事にするカリキュラム
冒頭に紹介した特集では、国際基督教大(ICU)の学長・岩切正一郎さんのこんな話が載っていました。
経済学を専攻しながら音楽も学ぶ
ICUは教養学部アーツ・サイエンス学科のみで、入学してから2年間は幅広く基礎科目を勉強します。本当にしたいことを見つけるための、迷いの時期をわざと作っているのです。3年次からはメジャーを大学に登録し、それを中心に他分野も学ぶことで学際性と専門性をともに高めることができるのだとか。複数のものの見方を大事にしているからこそのカリキュラムですが、こうすることで、大学院などに進んでからも伸び代や応用力が大きいと言います。
大学に入ってからあちこちの学問をかじって、じっくり全体を眺めてみる時間を作るのは良い手段だと思います。これから研究する学問の位置付けをつかみ、世界を見るフィルターを複数持つことができるからです。
ならば、大学に入学する前から、もっとこういった機会を設けるのが良いのではないでしょうか。
■高校のうちから学問の位置付けをつかむ
高校の文理選択のとき、大学で何を学びたいのか決めて選択した人は、それほど多くはないでしょう。科目の得手不得手で決めるのも一つの手段だとは思います。しかし、進もうとする学部や学科が何を研究対象とする分野なのか、他の学問との違いは何なのか、いくつもの視点から考え、それらの魅力を捉える機会がもっと必要なのではないでしょうか。
例えば、自然科学、人文科学、社会科学、それぞれの研究対象は、大まかに「自然がつくり出したもの」「人間の内面がつくり出したもの」「人間と人間の関係から生み出されたもの」と分けることができます。日本でいわゆる「理系」と言われるのは大体が自然科学で、例えば哲学は人文科学、法学や経済学は社会科学と分類されます。
自然科学は自然について真理を解明することを目標としますが、社会科学においては、真理の解明よりも、人間と人間との関係のバランスの良さを目指したりもする、という姿勢の違いがあります。
それぞれの特徴は他にもありますが、このような学問の違いを知り、その位置付けをつかむことで、自分の専門分野がどこから物事を見ているのかを知ることができます。こうすることで、何か課題に取り組む際、これまでの知識にとらわれることなく、どんな視点が必要なのか考えやすくなり、新たな学問分野に取り組む抵抗感も少なくなるはずです。自分にとって当たり前と考えていた「○○学」たちも、違う表情を見せてくれるようになるのではないでしょうか。
就職のための大学、大学のための高校ではなく、学ぶこと自体の魅力を、多角的に捉えられる機会が増えていくことを願います。
参考記事:
13日付朝日新聞朝刊 教育情報誌EduA「【特集】『文理の壁』を壊す」