シンガーソングライターのTOMOOさんの「らしくもなくたっていいでしょう」という曲は、こんな歌い出しから始まります。
あの服に釘付けなのに なんでまた後ずさり
僕じゃなくて服が僕を着ちゃいそう
続けてみれば みんなから慣れてくるのさ
おしゃれボーイはそうそそのかしてた
周りの目を気にしないで、あなたのしたいことをそのまま表現していいんじゃない。あなたの心が踊りときめくようなものを身に着けてみればいいじゃない。そのドキドキだって、楽しんじゃいなよ。そんなふうに誰かの背中を押すようなこの歌を、ときどき聴きたくなります。
メイクをしてなりたい自分に近づいたり、いつもと違うチョイスをして気分を上げてみたり、お気に入りのアクセサリーをつけて気合を入れたり。身にまとうもので、1日の楽しさが変わるという人も少なくないでしょう。最近は、それぞれの好きな格好をする、表現する楽しさ、その自由がより謳われるようになってきました。
さて、その一方で自由を許さない「ブラック校則」と言われるものも、全国の中学、高校に残っています。スカート丈、髪型、靴下の色や丈、セーターの色、爪の長さ…。それぞれ意義があるとの判断からできた規則なのでしょうが、そんな校則を持つ学校は今一度、当事者である生徒たちと一緒にルールを見直す必要があると思います。
■「就活や入試のために」「社会に出ても恥ずかしくないように」?
よく校則の理由として挙げられますが、これはほとんど理由になっていないでしょう。就職活動や入試に向けて3年間も準備している必要はないし、そのために黒髪にすべきとか、化粧を控えめにすべきだとかを判断するのは生徒自身でいいからです。こうした方が有利だ、という情報を提供することは必要かもしれませんが、学校が強制する必要はありません。「そんなことで判断するようなところには行きたくない」という考えだって尊重されるべきでしょう。
また、社会人になってスーツをばっちり着こなすために、学校生活で毎日その練習をしなければならないかといえば、そうでもありません。勉強し、いろんな人と関わって交友関係を築き、運動をするために来るのが学校なら、その目的に応じて、自分で格好を考えればいいでしょう。TPOについて学んでほしいなら、「フォーマルweek」などドレスコードを設ける期間を作ってみても良いのではないでしょうか。できるだけ、子どもの選択肢を狭めないようにする工夫が必要です。
■「学生の本分」?
学生の本分は勉強なのだから、おしゃれに気を取られている時間をできるだけ少なくすべき。そんな意見も聞きます。では例えば、おしゃれの研究とピアノの練習とでは何が違うでしょう。どちらも授業とは別の時間に、自分の好きなことを追いかけたり自己表現を磨いたりしていることに変わりありませんし、社会に出た後に食べていける強みにもなり得ます。習い事と称されるものと引き比べ、不思議ととやかく言われてしまいます。
■校則を作るのは
校則は、当事者であり学校の主役である子どもたちが決めるべきだとも思います。実際の日本社会だって、法律を決めるのは民意を反映した代表たちです。なぜなら、自分たちの生活に、人生に関わる重大なことだから。
学校生活も同じです。学校という規模の社会であれば、より、自分の意見を表明し現状を変えるという体験がしやすいでしょう。そのプロセスを踏めば、自然と子どもたちの権利が尊重されるルールが出来上がるはずです。生活指導より、議論を交わすことに時間をかける方が、子どもたちが他者と生きていく力を養うことにつながると思います。
僕は僕を引き伸ばしたいだけ
「らしくもなくたっていいでしょう」のワンフレーズです。子どもたちが伸び伸びと自分らしさを追い求め、思い思いに表現することを、大人の都合で止めさせることがあってはなりません。本当に子どものためになる校則へと、見直しが進むことを願います。