27年前の今日、私はまだ生まれていませんでした。
1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生しました。「防災とボランティアの日」、「ひょうご安全の日」、被災地におむすびが届けられた温かい心の象徴としての「おむすびの日」など、震災関連の言葉が今でも残ります。後世に語り継がれる出来事です。
今日の紙面では朝日新聞が大きく取り上げていました。福岡や東京では1面の左下だったのに対し、兵庫では左上に掲載されているという地域による扱いの違いも見られました。
中面を見ていると、当時の体験談やそれを踏まえた今の思いが掲載されています。朝日新聞が伝えた西宮市の野球監督の話は実家に近い場所での出来事であったため、「今はビルが立ち並んでいるあの場所にも被害があったのだ」と気付かされます。筆者の出身は兵庫県川西市です。被害が大きかった神戸市からは少し離れていますが、通っていた地元の小学校では1月17日の前後1週間ほどを、震災や防災を学ぶ週間として、当時の映像をみたり、体験談を読んだりすることで災害を考えてきました。
被災当時の話を家族に聞いてくるという小学校の宿題で、祖父母に話を聞いたことがあります。神戸と比べると被害の規模は小さいものの、「食器棚が倒れ、お皿がすべて飛び出た」、「踏めば怪我をするからスリッパを必ず履いた」、当時20代の母と妹たちを守るため、「布団を覆いかぶせた」と祖父が語ってくれました。祖母はガスが止まったからカセットコンロしかなかったと被災後の生活を教えてくれました。とは言うものの、筆者自身が被災していないため本当の怖さを知り、危機意識を持ったとは言えません。
17日が近づくと、学校の宿題の影響で避難場所の確認をするのが家の決まりごとになっていました。大きな地震があれば「小学校のうさぎ小屋の前に集合」が合言葉です。遠出している場合は、居場所を留守電話に残すか、貼り紙をして伝える。これで連絡が取れない家族がいても安心して避難でき、命を守れるとの思いがありました。しかし、この確認は中学校ぐらいまでで、最近はしていません。家族そろって災害時の心の準備ができているのか、少し不安を覚えます。
では、被災地に縁のない人、大災害をまったく体験していない人はどうでしょうか。災害の怖さ、一気に変わる日常、普段から防災を深く考えることができるのでしょうか。当事者の話を聞いてきた筆者でさえ、自分事として災害を捉えられていないというのに。
災害大国日本の教育現場での防災への取り組みは、定期的な避難訓練や、地域の防災マップ作りなど多岐にわたります。災害安全に関する指導をしている学校は99.7%(文部科学省)にのぼります。2017年3月に改訂された学習指導要領では、自然災害の教訓を踏まえ、「防災・安全教育」の内容が拡充されました。
一方で、今日の朝日新聞掲載の、漫画家の一色登希彦さんのインタビューでは、「大災害が起きても多くの人が『傍観者』で、学ばない」としたうえで、漫画では「彼(主人公)には震災の記憶が刻み込まれているが、社会は教訓を忘れ、度重なる災害で多くの死者を出」すと語られています。喉元過ぎれば熱さを忘れる、です。それは筆者の実家での出来事とつながります。
「自分ごと」として災害を捉える意識が、教訓を本当の意味で生かすために欠かせない心構えでしょう。学校教育で全てを担えるとは思いません。県、地域、近所、家族、友人、身近なところから災害を考えるきっかけをつくることが大人にも子どもにも必要です。これを機に筆者は、家族と防災の合言葉を振り返ります。
参考記事:
14日付 朝日新聞朝刊(福岡14版)25面「生き残ったこと肯定できるよう」
17日付 朝日新聞朝刊(福岡13版)8面「震災が、全員野球の原点」
17日付 朝日新聞朝刊(福岡14版)32面「漫画だから伝えられる」
参考資料:
文部科学省における防災教育の現状について(令和3年6月23日)
学校防災のための参考資料 「生きる力」を育む防災教育の展開(平成25年)