デジタル世界、どこまで広がるのか

朝日新聞デジタルの検索バナーで「Zoom」と打つ。すると、最新のものから順に大量の記事が画面上に表示される。全てどこかに「Zoom」という言葉が使われている記事であるが、2020年4月から5月の時期には、見出しにその言葉がよく使われていたことが分かる。年度替わりを機に広がったステイホームのなかで、会社員も学生もZoomを通して社会と繋がるようになり、一気に知名度が上がったのだろう。少なくとも現在のキャンパスライフで、Zoomは一定の地歩を固めたように思える。

メタバースもそうなっていくのか。

メタバース(Metaverse)とは、英語で「超越した」と意味するメタと「宇宙」、「世界」を意味するユニバースを掛け合わせた造語。インターネット上に構築された仮想空間のことである。

最近、FacebookやInstagramを運営する米Facebook社が社名をMetaに変え、話題となった。ITの世界に疎い私には、いきなり「メタ」という名前にした意図は分からなかったが、マーク・ザッカ―バーグの目には、じきにネット上の仮想空間がメジャーになることは確実と映っているらしい。

(“from Meta”とあるインスタグラムの起動画面)

思い返してみれば、去年の中央大学の学園祭はメタバース上で開催されていた。まだまだ一般には普及していないが、このコロナ禍で着実に広がりを見せていることは実感せざるを得ない。VRゴーグルを付ければ、その仮想空間での視覚と聴覚が再現される。さらに物に触れる感覚を再現できる研究も進められていると聞く。

ただ、私には仮想空間における様々な事物をそこまで現実世界に近づける必要はあるのか疑問に思える。確かにゲーム上の非現実があたかも現実のように受け止められたら楽しいだろう。ただ、そのようなスペースに入り込むことは現実から離れることでもある。心身の成長段階にある子どもにとって、そのような非現実への没入は本来の自分への理解や自意識の分裂に繋がると懸念されている。どんなにリアルに思えても、空想と現実は決して重なるものでないはずだ。それを勘違いして、どんどん存在しない世界に深入りすることには、危うさが伴うように思われてならない。だが、やはりそれも凡人の発想なのか。

オンライン授業が始まって2年目である。今ではすっかりZoomにも慣れ、友達と新機能を試して遊ぶほど親しんでいる。入試問題を大教室で必死に解いていた時に、そんな大学生活を誰が想像しただろうか。何年か後、もしかしたら数か月後には、メタバースもそうなっているかもしれない。

 

参考記事:

6日付読売新聞朝刊(東京14版)1面「仮想空間 拡張する『私』」