『岸田ビジョン』を読んでみた

衆議院選挙の公示日の10月19日、ある本が書店に並びました。第100代総理大臣に就任した岸田文雄氏の『岸田ビジョン』です。本書には、新首相が考える「ビジョン」と「自身の歩み」が記されています。

総裁選時から岸田氏は「新しい資本主義」、「令和版所得倍増」など格差是正を主張してきました(最近はトーンダウン気味ですが……)。しかし、自身は政治家一家の「サラブレッド」であり、貧困層出身ではありません。それにも関わらず、なぜ分配、格差是正を主張するのでしょうか。本書を通して、その理由を読み解いていきたいと思います。

岸田文雄首相『岸田ビジョン』(講談社+α新書)。穏やかな表情だ。筆者撮影。

本書には「政治家を志した原点」と語るある出来事が紹介されています。それはアメリカでの差別体験です。

父親の仕事の都合でニューヨークに移住した岸田氏は、小学1年から3年までの間、現地のパブリックスクールに通っていました。クラスには、白人、黒人、インド人、韓国人など様々な子供がおり、まさに「人種の坩堝」だったそうです。

1960年代初頭のアメリカは人種差別が激しく、学内でも差別は存在していました。そのなかで日本人である岸田氏も差別を経験したそうです。

それはクラスで動物園に行った時です。先生から「二列に並んで隣同士になった子と手をつないで」と指示がありました。岸田氏は隣にいた白人の女の子と手をつなごうとしました。しかし、彼女は眉をひそめ、一向に手を繋いでくれません。最初は意味がわからなかったそうですが、すぐに気づきました。

「この子をいじめたりからかったりしたこともないのに。ただ肌や髪、瞳の色が違うだけで」

彼女の表情は今でも鮮明に覚えており、この出来事が「政治家を志した原点」だと語っています。

本書の副題は「分断から協調へ」です。岸田氏が格差是正に関心があるのも、格差を社会の分断と捉えているからこそです。また、「新しい資本主義」、「令和版所得倍増」以外にも「デジタル田園都市構想」、「核なき世界」を提唱しています。前者は都市と地方、後者は核保有国と非核保有国の「分断から協調」を志向したものです。

では、なぜこれほどまでに「分断から協調」を唱えるのか。やはり、差別という名の分断をアメリカで体験したことが大きかったのでしょう。

コロナ禍により、日本、そして、世界の分断は加速しています。岸田氏が主張する「分断から協調」の政治姿勢こそ、ポストコロナ時代の政治家には必要です。

しかし、岸田氏に分断を解消することができるのでしょうか。

「新しい資本主義」にしても、本書を通読しただけでは、具体性に欠ける印象を受けます。また、「デジタル田園都市構想」も考え自体は素晴らしいです。しかし、都市部に集中する人口を地方に分散するのは、デジタル化が進んでいるとはいえ至難の業のはず。どのようなイニシアチブを発揮して、「大改革」を実現しようとしているのでしょうか。それについては特に記されておらず、非常に心許ない印象を受けました。

本書に記された「岸田ビジョン」自体は素晴らしいと思います。しかし、政治は結果。どんなに優れた構想も実現できなければ、ただの「絵に描いた餅」です。

「岸田ビジョン」を実現できるか否かは、岸田氏の政治手腕にかかっています。実現できれば、きっと歴史に残る「大宰相」となることでしょう。

参考記事:

24日付 朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞 各紙朝刊 首相の動静記事

参考資料:

岸田文雄『岸田ビジョン』講談社+α新書、2021