昨日の紙面に、小学校教員の悲痛な「声」が載っていました。
「外国語活動」は必修科目になり、単語の読み書きが必須になった。増えた授業時間を捻出するため、「朝読書」は英語やドリルの時間に変わった。朝は読書や歌、大縄跳びで徐々にクラスの雰囲気を温めていくやり方は消えつつある。次々、新しいことに振り回され子どもと関わる余裕がなくなった。自分の気力には限界がきている。こぼれ落ちた子どもたちを救う場所はあるのだろうか。学校がますます息苦しいものになる気がしてならない。
小学生で学習する内容は増え、どんどん低学年化しています。その中でも、顕著なのが「外国語活動」です。2020年度より、小学校での英語が正式に教科に格上げされました。筆者が小学生だったのは約8年前。その頃は、今ほど英語教育は叫ばれていませんでした。英語の授業は特別クラスとしてあったものの、単語の読み書きは重要視されていなかったように感じます。”Hello, my name is Rika. Nice to meet you.”くらい言えれば、周りには褒められたものです。
その程度の英語力で進学するため、中学校での「英語」という教科に苦しんでいる人も少なくありませんでした。それを思うと、今の小学生は羨ましいなと思う部分があります。
それらの事情を踏まえると、外国語学習の低学年化には賛成です。小さいうちから慣れておくことに越したことはないからです。しかし、「外国語活動」のおかげで子どもたちの楽しい時間を奪うことは筋違いではないでしょうか。
「外国語活動」だけにとどまりません。道徳の教科化、プログラミング授業の導入など、20年度からの小学校の教育は大きく変わりました。
学校は何をする場所なのでしょうか。勉強をするところ、交友関係を学ぶところ、人間性を培うところ、社会を学ぶところ・・・。一概に、学校とは○○を学ぶところ、とは断言できません。しかし、勉強するためだけの場所ではないということを忘れてはいけないと思うのです。小学校では、たくさんの学びがあります。それは勉強でしか得られないものばかりではありません。歌の時間、読書の時間、遊ぶ時間でしか得られないこともたくさんあります。
学習にも進化は必要だということも、重々承知しています。一方で、「学習の進化」が日常での学びを潰すことにも繋がりかねないのだということも忘れてはいけないと考えます。
参考記事:21日付 朝日新聞(愛知13版)12面 声 オピニオン&フォーラム 学校息苦しい場所にしないで