四方八方を向いた四角いブロック、特徴的な丸い窓。都会の真ん中銀座では、その異様な空気を漂わせています。中銀カプセルタワービルは他でもない昭和の遺産なのです。
国立新美術館などを手がけた黒川紀章氏が設計し、1972年に完成した分譲マンション。住居用カプセル型の計140戸が13階と11階建てのツインタワーに固定されているという遊び心くすぐるデザインです。
しかし、17日に訪れた際はビル全体に網がかかり、活気はありません。
それもそのはず。今年の3月に管理組合で敷地売却が決議され、いま住人の退去と区分所有されていたカプセルの売却が進んでいます。約35年もの間、大規模な修繕はなく、安全性の問題が無視できない現状を踏まえての決断だそうです。
惜しくも解体が決まりましたが、2014年から、保存派の所有者と住人による中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクトが発動しています。「メタボリズム思想の代表的建築物の存続」を目的とし、カプセルを美術館や博物館に寄贈する活動や書籍の販売を進めています。
埼玉県立近代美術館に併設した公園にもカプセルのモデルルームがひとつが贈られています。初めて目にした時、未来からやってきた宇宙船のようにも思えました。49年も昔の構造とは到底思えません。
同プロジェクトは18年に、1カ月のお試し宿泊体験「マンスリーカプセル」の提供も開始しました。約2年半で200人以上が利用。友人の伝手を頼り、その1人からお話を伺うことができました。
大阪に住む20歳の男性は、高校時代からよく東京に建築や展示を見に行くことがあり、その中で最も印象的な建築として記憶していたのだそうです。そんな建築が近いうちに無くなるかもしれないというニュースに加え、期間限定の住人を募集しているということを知り、応募を決めました。
「丸窓から入る朝日で目を覚ますこと。夜、銀座を通る高速道路を見下ろすこと。あの建築は今でも注目される歴史で、その中に住めたということ。人生というのはこういう時のためにあるのだと思った」と語ってくれました。
実際に部屋を訪ねた友人は、「住宅ごと全国を移動しながら暮らせるカプセルマンシオンは、一般化していない。当時の黒川紀章を初め多くの人が夢見た、しかし結果的には夢にとどまり実現しなかった未来の暮らし『レトロ・フューチャー』の世界に魅了された」と言います。
9月29日の読売新聞朝刊では、戸建て版カプセル建築「カプセルハウスK」の紹介記事が載っています。こちらも黒川氏が手がけました。現在は長野県の別荘地で泊施設として開放されています。
このように新たな保存の形を通じて、素晴らしい建築物が後世に続くことを願っています。大学で建築芸術史を学び、すっかり建築美の虜となった筆者。いつか訪れようと心に決めました。
参考記事:
9月29日付 読売新聞朝刊 埼玉12版 17面 『有名建築家の住宅「民泊」で保存』
10日付 読売新聞オンライン 「【東京ホットぷれいす2021】円窓よ、さらば=東京」
参考資料:
ITビジネス 『中銀カプセルタワービル、「泊まれるカプセル」として生まれ変わる』
https://www.itmedia.co.jp/business/spv/2107/05/news049.html
BUNGANET『中銀カプセルタワービル解体へ、メディアが取り上げない「3つのこと」』
https://bunganet.tokyo/nakagin/
中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト 公式サイト