今日は防災の日、98年前のこの日に関東大震災が発生した。推定マグニチュード7.9の地震によって、10万5千人以上が亡くなった。東京都墨田区の横網町公園には東京慰霊堂があり、毎年9月1日は秋季慰霊大法要が開催されている。
午前10時、横網町公園の入口には多くの警察官と消防関係者、都の職員がいた。「防災訓練じゃないかな」と、公園の前を通り過ぎる若いカップルの会話が耳に届く。
多くの警察官が動員されている背景には、慰霊堂の隣にある「朝鮮人犠牲者追悼碑」を巡る問題がある。震災直後は流言が飛び交い、多くの朝鮮人が虐殺された。ある記録では、6千人にのぼるとされている。一方、「大虐殺はなかった」と主張する保守系団体も存在する。この日、横網町公園では東京都慰霊堂での秋季慰霊大法要、朝鮮人犠牲者追悼碑前での追悼式典、保守系団体による慰霊祭の3つの式典が行われた。衝突を阻止する厳戒態勢が敷かれており、警備をしていた警察官は「朝9時頃から準備して、100人越えの態勢だよ」と話していた。
国の中央防災会議・災害教訓の継承に関する専門調査会の報告書によると、地震直後には「富士山に大爆発、今なお噴火中」や「東京湾に猛烈な海嘯(潮津波)襲来する」といった流言が飛び交った。翌日以降は「朝鮮人目黒火薬庫を襲う」や「朝鮮人鶴見方面で婦女を殺害」、「朝鮮人、市内の井戸に毒薬を投入」といった、朝鮮人を標的にしたデマが広まっていったと報告されている。
デマは市民の間だけではない。警察や軍、新聞も信じた。地震から2日後の大阪朝日新聞には「横濱地方ではこの機に乗ずる不逞鮮人に對(たい)する警戒頗(すこぶ)る厳重を極むとの情報が来た」との記事があり、その日の夕刊には「武装軍隊の厳戒 不逞團蜂起の流説に備えて」の見出しで、「帝都混乱の機に乗じ不逞團が盛んに暗中飛躍を試みると傳(つた)へられるので武装せる宇都宮、高崎、千葉、高田等の各軍隊出動し厳重に警戒し場合によつては斬り捨て或は銃剣で突き刺すべく厳戒中であると」と書かれている。
朝鮮人犠牲者追悼碑を囲むようにフェンスが設けられている様子は、異様というほかない。フェンスの前には警察官や都の職員が立ち並び、往来を規制している。保守系団体とみられる女性が、厳粛な式典中に大声を発して都の職員に囲まれる場面もあった。横網町公園に来て、朝鮮人虐殺について様々な見方があることを肌で感じた。それでも地震が発生した午前11時58分、公園に慰霊に来ていた全ての人が黙祷した。
「関東大震災という天災で失ったものと、流言による人災で失ったものは違う」
朝鮮人犠牲者追悼式典に参加した男性はこう話した。式典では、韓国伝統舞踊による「鎮魂の舞」や追悼の辞、寄せられた追悼メッセージが読まれた。追悼の辞では「デマによって虐殺された朝鮮人は、天災ではなく人の手で殺されており、犠牲者の性質が異なる」と説明がなされた。さらに、式典に参加した別の男性は「防災の日は、天災への備えだけでなく、天災によって引き起こされる人災を起こさないように決意する日でもあるのでは」と話してくれた。
流言は過去の話ではない。最近でも、今年2月の福島県沖を震源とする地震直後に「BLMが井戸に毒を投げ込んでる」というツイッター投稿が拡散。「バイデンが福島の井戸に毒を投げ込んでるのを友達が見ました」といった投稿さえあった。
式典に参加してきた今、98年前のデマによる虐殺を風化させないようにするとともに、民族や性別による差別をなくすことが、偏見に根差した流言を防ぐうえで不可欠であると感じた。
参考記事:
5月3日 朝日新聞デジタル 「井戸に毒」投稿者に2度問うた 虐殺の現場訪ねた記者
1923年9月3日 大阪朝日新聞 朝刊2面
1923年9月4日 大阪朝日新聞 夕刊2面
2020年9月3日 ハフポスト 朝鮮人虐殺を「なかったことにされるのは許せない」。追悼式典の祈り
参考資料:
渡辺延志(2021)『歴史認識 日韓の溝』筑摩書房
公益財団法人 東京都慰霊協会 都立横網町公園の歴史