オリンピック・パラリンピックの開催が感染拡大につながらないか、ご懸念されている、ご心配であると拝察しています――。
24日、宮内庁の西村泰彦長官が定例会見でそう発言した。
西村長官の発言が報じられると、ツイッター上では、「天皇陛下」がトレンド1位となり、「御聖断」、「玉音放送」などの言葉もあがった。
西村発言は「拝察」の体裁をとっている。しかし、記者の「これは陛下のお気持ちと、受け止めて間違いないか」との質問に対して、長官は「陛下はそうお考えではないかと、私は思っています」と明言している。つまり、実質は陛下の「お気持ち」の代弁とみていいだろう。
陛下は東京五輪の名誉総裁を務めており、開会宣言も行う。東京五輪の関係者、いや、「顔」なのである。一市民の私でもコロナ禍での開催には懸念している。五輪の「顔」である陛下がコロナ禍での五輪開催に対してご懸念を抱いているのは至極真っ当だろう。
しかし、現在、五輪開催の是非について、国論が二分している。そのような状況下で陛下のご懸念を公にすれば、開催反対派が政治利用するのは目に見えていたはずだ。ご懸念が事実であったとしても長官は公にするべきではなかったのではないか。越権行為、軽率と批判されても仕方がない。
また、西村発言を政治利用する五輪開催反対派も反対派だ。天皇の政治利用は、日本国憲法の基本原理である国民主権を侵害し、形骸化させる恐れがある。反対派は自身の主張を権威づけるために、陛下を持ち出す行為の危険性にあまりにも無自覚すぎる。
東京五輪開催まで、1ヶ月を切った。民主国家である以上、五輪開催の是非について、国民、そして、選挙で選ばれた政治家が自らの責任で決めるべきだ。「御聖断」を仰ぐのは、民主主義の放棄に等しい。
参考記事:
25日付読売新聞朝刊(大阪12版)2面「五輪で感染拡大 陛下懸念」