党首討論 「結論から、簡潔に」は難しい?

筆者が所属しているボランティア団体では、全員の意見を取り入れ、より良い決定をするために話し合いが重要視されている。そこで、限られた時間で質の高い議論をするためにしばしば求められるのは「結論から話す」ことだ。あらたにす編集部スタッフ内でのミーティングでも、幾度か指摘し合ったことがある。ビジネス関連の記事でも目にする。実際、結論から簡潔に述べられた意見交換は、論点が何なのか、議論がどこに向かっているのかわかりやすいし、記録にも残しやすい。スピード感も出る。聞き手としても、「結局何が言いたいのだろう」「この人の立場はどっちなのだろう」とあれこれ推量する必要がなくなる。

とはいっても、誰かを傷つけまいと事情を慮りすぎたり、自分の中で立場が明確になっていない、言葉にできていなかったりすると、これが難しいときがある。自分に都合の悪いことを聞かれたときはなおさらだ。非があることがわかっているからこそ、背景や言い訳を長々と先に伝えたくなってしまう。

さて、9日に行われた党首討論。映像で見ていると、「結局答えになってないな…」と思うことが何度もあった。次の画像の1枚目は、筆者が文字起こしをした討論の冒頭部分。2枚目は、それをもとに分かりやすく双方の主張を書き直したものである。見比べてみてほしい。

▲党首討論の冒頭部分、各党首の発言。議論というより、スピーチに近い。

▲こちらは望ましい質疑形式。先ほどの速記録をもとに筆者が再構成。新聞に掲載された自民党内の意見などをもとに首相の言いたいことを推測した。

 

「思い出語りだけでは、コロナ禍の下、なぜ五輪なのかという問いに答えたことにはならない」(朝日新聞)

「枝野氏に五輪開催の是非を聞かれると、首相は手元の資料に目を落として大会での主要な感染対策を読み上げた」(読売新聞)

「政党が国の針路をめぐって骨太な意見を交わし、政権を競うのが民主主義の基本であるはずだ。与野党は党首同士の真剣勝負の機会をないがしろにすべきではない」(日本経済新聞)

正面から質問に答えようとしない首相や、持説の開陳に時間を費やしがちな野党には、各紙からも批判の声があがる。もう一度、議論の基本に立ち返り、党首の誰もが結論から簡潔に話そうと努力することで、有意義な時間になるだろう。

もちろんパフォーマンス面での戦略もあると思う。例えば「できるのか、できないのか」と問われたとき、「できない」と言いきってしまっては、国民の信頼を繋ぎ留められない懸念もあるかもしれない。けれども、ここはあくまでも政策をめぐって議論を深める場である。簡潔でわかりやすい議論をすることは、政治への関心が薄れた国民に対しても有効なアプローチにもなるはずである。

もともと党首討論は官僚支配からの脱却、政治家主導の国会質疑をめざして導入されたもので、モデルは英国議会だ。英国の党首討論(クエスチョン・タイム)は言葉の決闘と言われるほど激しく、首相はあらゆる質問に答弁する積み重ねを経て、政府きっての政策通になるといわれる。白熱した議論ゆえ、国民の関心も高い。日本の国会もそうした理想を実現させ「言論の府」として再生するために、各紙の「回数を増やすべき」「もっと時間を長くするべき」という指摘にも耳を傾けるべきだと思う。

この記事で言いたかったことを簡潔にまとめてみよう。「結論から話すのは難しいですよね、わかります。でも少しずつできるように頑張っていきませんか」ということである。国会の事情をよく知っているわけでもない21歳の娘が言うと少々小生意気に聞こえるかもしれないが、ぜひ実現していただきたい。

 

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