5月17日のことです。朝起きたら市の防災行政無線放送が流れていました。今日はどんな内容かと耳を澄まして聞いてみると、高齢者のワクチン接種予約が始まったとのことでした。ワクチンは十分あるから慌てずに行動してくだい、そう市長が呼び掛けていました。「町田もついに始まったのか」。そう思いながら聞き流していたら最後にギョッとするようなひと声が。
市民みんなで力を合わせてこの難局を乗り切りましょう
マジか、いつの時代よ。放送を終えた後、筆者はつい一言、呟いてしまいました。市長の呼びかけは後日、弟との会話の中でも話題に上がりました。「まるで戦時中みたいだったよね」。彼も同じように感じていました。
町中に響いた無線放送。筆者が問題だと思ったのは、市民みんな、力を合わせる、難局といった一つひとつの言葉の選び方です。この放送をきっかけに太平洋戦争が起きた時、国はどういった言葉を使用していたのか調べてみました。教科書で良く取り上げられる「ぜいたくは敵だ」「欲しがりません勝つまでは」といった類のものです。
目に留まったのは1940年7月23日の近衛文麿が首相就任のラジオで発した一言でした。
大御心を仰いで一億一心、真実の御奉公を期さねばならぬ
一億一心という言い回しが気になりました。調べてみると、困難な戦時において全国民が一つになって戦争を完遂し、戦争に勝利するべく一つの心になろう(マナラボより引用)という意味があるそうです。他にも似たような単語として、挙国一致や一億国民、一致協力などが挙げられます。
力を合わせて困難に立ち向かい、何かを成し遂げる。その心構えは正しく、美しく映ります。しかし戦時下の日本は、そんな言葉にとらわれ、戦争を正当化したり、批判の声を押さえつけたりしたのではないでしょうか。
戦争とコロナを比べるのは乱暴だ。そういった声もあるでしょう。しかし筆者は、今回の市長の呼びかけは抽象的でどう力を合わせるのか示されておらず、聞いた人によって捉え方が異なってしまうと思いました。極端かもしれませんが、そうした上からの一言が自粛警察の肯定につながるのではないでしょうか。
国や自治体が呼びかけを行う際、言葉遣いに気をつけてほしい。今回の一件から強く思いました。
参考記事:
朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞 新型コロナウイルス関連の記事
参考資料:
非文字資料研究センター「戦意高揚紙芝居コレクションにみる戦時下用語」
中京テレビ「【戦後75年特集】コロナ禍の自粛警察 重なる戦争中の日本人「簡単に一定方向に流される国民性変わらず」…伝え継ぐ「戦争の記憶」」