オリンピックの心準備 スポーツは何のために行うのか

開催まであと100日。

そんな記事を最近よく目にするようになりました。

菅義偉首相は16日に行われた日米首脳会談で開催実現の決意を表明しました。聖火リレーに涙が出た、元気をもらえたという声。代表選手が決定した競技。五輪を待ちわびる声が聞こえます。その一方で、新型コロナウイルスの感染者は確実に増加し、変異種を恐れ、ワクチンなどへの対応を強く求める声が聞かれます。自民党の二階俊博幹事長からは「オリンピックの中止も選択肢」という発言もありました。

オリンピック開催に関する意見が錯綜しています。開催の是非についての考えは人それぞれだと思います。このような騒動の中で、筆者は皆さんに「岡部平太」という人物を知ってもらいたいと考えます。

岡部平太(おかべ・へいた)は1891年に福岡県糸島郡芥屋村(現在の福岡県糸島市)で生まれた柔道家。小さいころから抜群の運動神経で、野球、柔道、テニスなど、幅広くスポーツに関わってきました。海外志向が強く、日本の柔道界を強くしたいという思いから渡米し、その経験から1934年に日本に初めてアメリカンフットボールを紹介しました。さらに、大河ドラマ「いだてん」でおなじみの金栗四三とも交流があったなど、オリンピックにもゆかりのある人物で、日本人のオリンピックでの活躍を後押しした人物でもあります。1948年の国民体育大会を福岡に誘致し、平和台陸上競技場を福岡市にある舞鶴公園に建設しました。

「もう戦争は終わった。ここをスポーツのピースヒルにしたい。」

日本のスポーツの発展と平和への思いをこめて作ったと言います。

実際に足を運び、競技場を見てきました。筆者は中学時代に陸上部員だったため、競技場は非常に懐かしく、入るだけでワクワクし、選手時代を思い出しました。競技場を巡ると第4コーナーに岡部平太像がありました。

岡部平太像(筆者撮影)

像の存在はあまり知られておらず、競技場の管理者に話を聞いても、「わからない」と言われてしまいました。大恩人のはずなのにとショックを受けました。

オリンピックまで100日を切った今、これまでスポーツ界に貢献した人物や場所に思いを馳せる時間を作ってみてはいかがでしょうか。何のために私たちはスポーツをするのか、その意義と価値を再定義する好機だと考えます。

オリンピック開催について、目先の得失に目を奪われることなく、大会の歴史やスポーツの目的、社会との関わりまでしっかりと考えたうえで冷静な判断を下すべきでしょう。スポーツの発展と平和への思いを込めて作られた平和台陸上競技場。過去から学ぶことは多いと感じます。

平和台陸上競技場(筆者撮影)

 

参考記事:

14日付 朝日新聞(福岡13版)32面 「あと100日 本当に開ける?」

15日付 朝日新聞(福岡13版)3面 「政権浮揚へ 突き進む政府」

19日付 朝日新聞(福岡13版)7面 「日本首脳会談 共同会見(要旨)」