明25日、福島県をスタートし、東京都庁を目指す聖火リレーが始まります。121日間をかけ全国を巡ります。
自分が住む八王子市ではどのようなところを走るのか一目見ておこう―
リレースタート地点である東浅川町(ひがしあさかわまち)に足を運びました。聖火が走るのは東京に入って2日目となる7月10日。1964年の東京大会で八王子市が自転車(ロードレース)競技の会場だったことから、その記念碑がスタート地点に選ばれました。
記念碑を見ていると、毎年11月に行われる「八王子いちょう祭り」の祭典委員会の方から声を掛けられました。87歳の男性は、生まれも育ちも東浅川町。64年当時は東神奈川に住んでいましたが、五輪の間は町内の実家に帰っていたそうです。当時の自転車競技場(現在の陵南公園)には、選手村も併設されており選手と市民が交流することもできました。奥さんはオリンピックイヤーに生まれたばかりの息子さんと一緒に、オーストラリアの選手と写真を撮ったのだとか。市民にとどまらず、国内外を問わずさまざまな地域から訪れた観光客で競技場は賑わっていたといいます。
今年のオリンピックについて、「この状況では盛り上がらないだろう」という思いに駆られました。
聖火リレーには、開催国全体のオリンピックへの関心と期待を高める役目があるとされていますが、現実は理想とかけ離れています。リレー参加を予定していた著名人が次々と辞退。これに加え、森喜朗前会長の女性蔑視発言や開会式責任者の差別ともとれる演出案の問題などが、大会そのものに影を落としています。相次ぐ不始末に諦めムードが漂っています。国民の五輪に対する不信と無関心は止まるところを知りません。
しかしこのままでは自分の子どもに、孫に何も語ることができない。男性の話を聞いて気づかされました。聖火リレーのルートはどこだったか、自分は当時どこにいたか、どれほど盛り上がったのか。数十年後語れるでしょうか。1人1人関心度に違いがあるのは当然です。目の前の課題がコロナである以上致し方ないことです。ただ、後世に語り継ごうとしたとき、「関心がなかった」というだけでよいのでしょうか。考え込んでしまいました。
参考記事:
24日付読売新聞朝刊(東京13s)34面「聖火よ再び 苦難越えて」
同日付朝日新聞朝刊(東京14版)39面「伝えたいから聖火とは知る」
参考資料: