震災から26年 災害から学ぶ

午前5時46分。兵庫県神戸市。下から突き上げる衝撃で母は目を覚ましました。突然襲った大きな揺れ。地震と気付くまで時間がかかったといいます。阪神・淡路大震災から今日で26年が経ちました。

崩れた階段。床に転がるテレビ。一面に散らばったお皿。自宅は半壊しました。外には更に悲惨な光景が。1階が2階に押しつぶされてしまった家。川の向こう側は火の海。戦後の焼け野原のようだったといいます。たった15秒の揺れが、6434名の命を、人々の当たり前の日常を奪いました。

一面焼け野原となった鷹取商店街周辺 朝日新聞DIGITALより

半壊した自宅を取り壊し、新しい家が完成したのはちょうど筆者が生まれた年。今も祖父母は神戸で暮らしています。日常を取り戻してから、赤ん坊が大人になるほどの長い月日が経ちました。それでも、毎年この日になると、祖父母と電話で震災の話をしています。新聞が取り上げる記事は年々小さくなりますが、被災した母たちにとっては忘れられない記憶として色濃く残っていることを実感します。

一方で、母の記憶に残るのは悲惨な状況だけではありません。ご近所同士で助け合う姿も鮮明に覚えていると続けます。焼き立てのパンを配り歩くパン屋のご主人。全壊した家の住民を助けるため、集まった若い男の人たち。今朝の日経新聞「春秋」にも、次のようにあります。

家屋の下敷きになりながら命を取り留めた約3万5千人のうち、近隣住民らに救助された人は8割弱。消防や自衛隊の初動の遅れを救ったのは普通の人々だ。

防災・減災対策においての、「共助」の大切さを改めて感じたと母は話してくれました。

家具の転倒防止や防災グッズを揃えるなど、自ら守る「自助」。お互いを思いやり、ご近所同士で助け合う「共助」。国や地方自治体などによる「公助」。この3つの要素が合わさって防災力が高まります。どれ1つ欠けてはなりません。

そして、これらはコロナ禍においても大事な要素ではないでしょうか。感染再拡大を受け、不要不急の外出自粛を求める。ランチを含めて外食を控えるよう訴える。時短要請に伴う休業手当などの制度を整える・周知する。国や地方自治体が足並みを揃えた「公助」がまず必要です。また、外出を控える、マスクや手洗い・うがいなど基本的な予防策を講じる「自助」、自身が罹らないだけでなく、周りの人にも感染させない、もし身近な人がかかったら物資や精神面を支える「共助」の心も必要です。これら3つの要素があって初めて、感染拡大を止めることが出来ると思います。

阪神・淡路大震災から26年、中越沖地震(2007)・東日本大震災(2011)・広島土砂災害(2014)・熊本地震(2016)など多くの天災に見舞われました。その度に、自助・共助・公助がいかに重要か身に染みて感じた方も多いと思います。災害に対する備えはもちろんのこと、コロナ禍の今も災害から学ぶことは多いのではないか。そう感じた2021年1月17日です。

参考記事

17日付 日本経済新聞朝刊(東京13版)1面「春秋」

2020年1月17日 朝日新聞DIGITAL「崩れた街、記者が撮った3日間 8200枚をデジタル化」