やっぱり中止?復興五輪からコロナ五輪へ

あと190日。この数字にピンと来ただろうか。延期された東京オリンピックが開催されるまでの日数だ。しかし、それどころではない。2度目の緊急事態宣言が三大都市圏を含む11都道府県に発令された。果たして半年後に開催されているのだろうか。

9日のあらたにすでは「東京五輪中止?諦めるのはまだ早い」という記事が掲載された。筆者の山本さんは開催に向けて前向きな姿勢を示し、「ネガティブキャンペーンを張るのではなく、今こそステイホームを」と述べた。しかし、中止が妥当ではないだろうか。

まずオリンピックの再定義を行う必要があると考える。昨年3月14日に投稿した「問われるオリンピックの必要性」では、歴史的背景や当初の目的などを取り上げ、本当に必要な文化なのかを問うた。建前は「平和の祭典」とされているが、本音は「経済活性化の手段」ではないだろうか。コロナによって逆に首を絞められている現状は、皮肉というほかない。

国内に目を向けると、飲食業界を中心に倒産危機の状況が続いている。追い打ちをかけるように緊急事態宣言が発令され、店主らは出口が見ない事態に悲鳴を上げている。昨年12月6日の「京都『夜の街』を歩く」では、クラスターの発生源として批判されている夜の街が、いかに厳しい経営状態なのかを取り上げた。テイクアウトなどで活路を見出す企業も少なくない。しかし、多くはシャッターを下ろしているのが現状だ。

一番の問題は医療の逼迫。日本医師会の中川会長は「このまま感染が拡大すると、医療崩壊から医療壊滅になってしまう」と危機感を表した。医療従事者も精神的に疲労し、先の見えない対応に追われている。親が看護師だからという理由で、保育園が受け入れを拒否するといったケースも見られ、各地で差別や偏見も広がっている。

確かにアスリートの努力、ワクチン接種による効果、開催国としての責任を考慮すると、「中止しろ!」とは軽々しく言えない。しかし、約2940億円を延期に投資するのはどうなのか。貴重な税金をこれ以上使うことに意味があるとは思えない。オリンピックは娯楽の一種で、優先すべきは自国民の生活だと考える。

仮に無観客試合で全関係者にワクチンが打たれたとして、感染者が現れた場合、責任は誰が背負うのか。IOC、日本政府・・・、責任の所在を明確にしなければ不安は増すばかりだ。

一昨年くらいまでは「復興五輪」とも呼ばれ、全国民が期待を胸に待ちわびていた。しかし、一転して「コロナ五輪」と名付けられてもおかしくはない。開催してほしい気持ちもあるが、ここは思い切って決断するべきだ。

参考記事:

朝日、読売、日本経済新聞 各紙コロナウイルス関連記事

参考資料:

あらたにす 2019年1月9日 「五輪なんて、大嫌い

2020年3月14日 「問われるオリンピックの必要性

2020年12月6日 「京都『夜の街』を歩く

2021年1月9日 「東京五輪中止?諦めるのはまだ早い