【コロナ闘病記:上】軽症でもつらい 家族を死に追いやるかも 

2020年12月19日PCR検査で陽性ーー。頭が真っ白になりました。筆者は新型コロナウイルスに感染していました。24日までのホテル療養を終えて、東京郊外の自宅に戻りました。味覚と嗅覚に少し障害が残りますが、これまで通りの生活をしています。

日々報道されているコロナですが、まさか自分が感染するとは思いませんでした。書くことを決めたのは、医者、看護師、保健所、ホテルの方、たくさんの人にお世話になり、大変な状況で働いている姿をこの目で見たからです。

20代から50代の感染が広がったことで、無症状や軽症の人が知らず知らずに高齢者や持病を持つ人にうつしている現状があります。私は80代の祖父と同居しているため、その怖さも体験しました。

実際にどんな症状だったのか、ホテル療養中に考えたことなどを3回にわたって書きたいと思います。

■こんなにすぐPCR?

12月19日、PCR検査を実施した病院から「陽性」だと電話がありました。まずはその経緯をお伝えします。

違和感を覚えたのは14日です。のどの痛みを感じ、風邪かもしれないから、早く寝ようと思いました。実はこの日から3日間が卒業論文の提出期間で、この日もずっと自室でパソコンの前に座り続けていましたし、月初めから外出も普段よりは控えていました。

翌日15日はのどの痛みとだるさを感じながら起床しました。外出予定がありましたが、キャンセル。11時に飛び起きて、10分遅刻しましたが大学のオンライン授業に参加しました。その後、倦怠感に耐えられずベッドに横たわりながら、夕方に卒論をなんとか提出。おかゆを食べて寝ました。体温は37度台でした。

16日は熱が上がり38度台に。のどが痛くて話すことも難しく、リンゴとミカンを食べて、死んだように眠りました。今振り返ると、この日が一番体調が悪かったと思います。体も痛みました。

17日。この日は比較的体が楽になりました。風邪かもしれないけれど、一応病院に行くことにしました。かかりつけの病院は休診日。近くの内科に電話で症状を伝え、指示を仰ぎ、仕事を休んだ母の運転で訪れることになりました。病院に到着後、駐車場の車内で再び電話をつなぎ、私から細かな症状を報告。30分後に呼ばれたのは、外にある仮設テントでした。事前に問診が済んでいることもあり、その場では体温を測り、「インフルエンザとコロナの検査ができるけど、しますか?」と尋ねられました。感染していないだろう、と思いつつ、両方の検査をすることにしました。

インフルエンザの検査は、本来なら医者が鼻の中に細長い綿棒を入れますが、コロナのリスクを考えて、テントの外の誰も近くにいないところに出て自分で行いました。「3センチ入れるくらいでいいから」と言われましたが、うまくできたか心配でした。その後すぐに陰性がわかりました。PCR検査は、試験管に唾液を3センチほど入れる検査でした。「コロナの疑いがなければ2万5千円かかるけれど、あなたは疑いがあるから公費だからね」と説明を受け、インフルエンザの検査と初診料、薬代の3,050円を支払いました。

風邪かもしれないと解熱剤などの薬、三種類が処方されました。PCRの結果は21日の月曜に出るから、と言われ、「このような時期だと心配ですよね。コロナでなければいいけど」と気遣いながら処方された薬を丁寧に説明してくださった看護師さんに見送られて帰宅しました。

恥ずかしながら、半年前の6月にも体調を崩し、かかりつけの病院に行きました。そのときも同じような症状でしたが、PCRをすることはありませんでした。こんなにすぐに検査が受けられるとは思わず、仕組みが変わってきているのだと実感しました。

翌日、18日にはスマートフォンで映画を見られるくらいには回復していました。解熱剤を飲んでいるためか37度台に。食欲もあります。明日にはよくなるだろう、と前向きにとらえていました。

■30分以上電話でぐったり 「頑張りましょう」の言葉に救われる

19日。朝目覚めたら、窓からの冷気に耐えられません。悪寒がしたので自室のシャッターを閉め、暖房を入れ、もう一枚羽織って午前中いっぱいは寝ました。陽性が判明したのはお昼ごろ。病院からの不在着信があり、折り返しました。その後は保健所とのやり取りが待っていました。

前の日には、翌日には症状が軽くなるだろうと思っていたこともあり、メンタルの持ちようが難しかったです。ショックだったし、かなり落ち込んでいました。何より、自分が一緒に住んでいる家族を死に追いやる可能性があることに打ちのめされました。特に84歳の祖父のことが心配で、1階で生活する祖父と、2階に自室がある私。距離があるものの、2階のトイレに行くのも精神的にはばかられたくらいでした。前日に共用のお風呂に入っていたのも後悔しました。そんな中、保健所の方は優しく対応してくださいました。

ここからは、保健所の方から何を聞かれたのか、どんなことを話したのかをざっとまとめます。スピーカーで通話をしながら、スマートフォンのメモに書きとめました。

・共用部分やドアノブはアルコールで拭いて掃除をしてください。お風呂は最後に入ってください。
・同居の家族を教えてください。
・タバコは吸いますか。
・お酒は飲みますか。
・渡航歴はありますか。
・接触確認アプリ「COCOA(ココア)」は利用していますか。
・行動歴を教えてください。
・アルバイトは何をしていますか。
・濃厚接触者はいますか。
・ホテル療養を希望しますか。

細かく行動歴を伝えたり、行動自粛期間などを聞いたりして、30分以上は電話をしていました。37度後半の熱があり、寒気もする。すべてを正確に聞き取れたのかは自信がありませんでした。濃厚接触者の連絡先を確認して、30分後に再び電話をするので教えてくださいと言われました。しかし、ぐったりして、つらかったため、1時間半後に電話をお願いすることにしました。

発症がのどの痛みを感じた14日と推定されたので、その2日前に会っていた友人と、一緒に生活する家族が濃厚接触者に認定されました。友人には電話でコロナになったことを伝え、住所や電話番号を確認し、保健所に伝えました。家族も同様です。

1時間半後、再び連絡がありました。濃厚接触者の連絡先を伝え、休日でもつながる連絡先として、都の合同相談所の番号を聞きました。また、都が実施する配食サービスの説明も受けました。これは、レトルト食品などがまとめられていて、家の前まで配達してくれるサービスだそうです。結局、ホテル療養になったため、実際に食品が届くことはありませんでしたが。

▲電話履歴。最初の電話では35分通話。この日は4度電話をした。

高齢の祖父と同居していることもあり、ホテル療養を強く希望しました。「今夜エントリーしてみますね」と言われました。エントリーということは、必ずしも今すぐに入れるわけではないそう。早くても、2日後の21日には入れると伝えられました。「わかりました」と私が小さな声で返事をしたからか、「頑張りましょう」と電話の向こう側から力強く声をかけてくださいました。後日、朝日新聞デジタルで保健所の様子を記事で見ましたが、朝から対応に追われる中、丁寧にそして心のこもった対応に、救われました。今でもその時の職員の方のことを考えると胸がいっぱいになります。

この日から、味覚に変化が。味がほとんど分からなくなっていました。ですが、ポカリスエットの甘さと、お味噌汁のしょっぱさだけはわかりました。不思議です。

朝日新聞デジタル:鳴りやまぬ電話、重なる業務「保健所も機能停止の恐れ」

 

■22時に保健所から電話が ホテル療養決まったのは当日

20日、次の日は少し楽になってきました。3食食べましたが、寝ていることの方が多かった。この日の22:01―。保健所から電話がありました。昨日まで担当してくださった女性の方とは別で、男性の声。ホテルについてでした。「夜遅くにごめんなさい。ホテルは、エントリーをしているけれど、まだ決まっていません。ですが、もし入れるとしたら、明日の午前中に確定して、午後に車で迎えに行きます。準備をお願いします」とのことでした。夜遅くまで働いていることを知り、遅くまで本当にありがとうございます、と言わずにはいられませんでした。

▲保健所からの電話、20日夜22:01に着信。

次の日、朝10時に保健所から電話がありました。「12時40分に迎えに行きます。場所は西新宿のビジネスホテルです」とのことでした。朝には熱が36度台になっていましたが、倦怠感が残り、久しぶりに起き上がって、4日分の荷物をつめるのは一苦労でした。

■感染経路は不明 濃厚接触者の濃厚接触者は存在しない

保健所の方からは、感染経路について思い当たることはないか、聞かれました。特に聞かれたのは、飲食を共にした人です。「対面で食べたの?パーテーションはなかった?」などと丁寧な聞き取りでした。改めて飲食のときに感染リスクが高いことを思い知りました。私の場合は、感染経路が判明することはありませんでした。保健所の方も深追いしてくることもありませんでした。今となっては、無症状の人から感染した可能性もあるなと考えています。

濃厚接触者についてです。同居している母、妹、祖父と友人の4人が認定されました。無症状の場合は、任意でPCR検査を受けられるとのこと。私の家族は住んでいる地域の保健所に22日に受けに行きました。友人は少し離れた地域に住んでいるため、管轄する保健所が異なり、23日に検査を受けることにしました。

その友人ですが、同居している家族がいます。保健所の人にこう尋ねたそうです。自分と一緒に生活している家族は外出しない方がいいのかと。ですが、「濃厚接触者の『濃厚接触者』は存在しないため、外出しても大丈夫です」と言われたそうです。家族とは、食事を一緒にしないこと、できるだけマスクをすること、お風呂は最後に入ること、生活の場を切り離すことなどを、提案されたそうですが、万が一感染していた場合には、感染を広げてしまうリスクがあると感じました。

濃厚接触者に認定された人には、アルバイトや仕事、病院などの外出の予定を全てキャンセルさせてしまうことになりました。収入が大幅に減ったと、妹は嘆いていました。祖父は病院に薬を取りに行くことができず、郵送の手配をしてもらうことになりました。

結局、数日後に4人とも陰性と判明し、私は肩をなでおろしました。ですが、感染源の私と最後に接触した日から14日間は発症のリスクがあることから、私の家族は4日の明日まで外出を自粛しています。

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今回は3回にわたる連載です。→【コロナ闘病記:中】【コロナ闘病記:下】

私の場合は、軽症でしたが、軽症といってもつらく、いつ治るかわからない精神的な不安もありました。明日は、ホテル療養について、お伝えしたいと思います。

参考記事:

朝日新聞デジタル12月20日6時00分「鳴りやまぬ電話、重なる業務『保健所も機能停止の恐れ』」

3日付日本経済新聞朝刊東京13版3面(総合・経済)「減らぬ人出 医療逼迫」

3日付読売新聞朝刊東京12版24面(特別面)「正しく予防できていますか 発熱、だるい 異変感じたら」