介護殺人 もし友人だったら救えるか

10月28日、目に留まった記事があった。神戸市の元幼稚園教諭の女性(22)が、介護していた認知症の祖母を殺害し、執行猶予判決を受けた事件だ。「介護で寝られず、限界だった」。衝動的に祖母の口にタオルを押し込んで窒息死させたのは、親族から介護を一人で背負わされ、仕事との両立に苦しんだ末のことだった。祖母の子どもである、伯父や父、叔母は介護には関わろうとしなかった。

社会人として働き始めて1か月という大変な時期なのに、帰宅後すぐに祖母に夕食を食べさせ、1~2時間おきにトイレに連れていき、排せつすればシャワーを浴びさせた。深夜の散歩にも付き合っていたという。

私は高校1年から5年間、認知症の祖母を介護した経験がある。家庭環境の違いはあるものの、介護の大変さを少しは理解をしているつもりだ。そんな私から見て、何ともやるせない思いを抱いたが、もう一つ別の感情が湧いた。もしこの22歳の同い年の女性と友人だったら、果たして私は彼女を救うことはできたのだろうか。

こう考えたのは、理由がある。中学のときから親しくしている友人が、いま似たような状況に置かれているからだ。その友人一人に祖父母の面倒がのしかかっている。親の離婚を機に、祖父母を親のように思うようになったという。私もお世話になっていたので、年に数回、連絡を取るたびに、「おばあちゃんとおじいちゃん元気にしてる?」と聞いていた。

先日、今までの「元気だよ」という言葉でなく、「最近ぼけてきている。一人では面倒を見られないから、老人ホームに入れるかも」と言ってきた。親族は介護に協力的ではないようだったので、かなりの負担を強いられていることがわかった。彼女は高校を出ると働き、免許を返納した祖父母のために買い物や料理をしているらしい。

「怒っちゃダメだとわかっているけれど、怒っちゃう。どうしても、ストレスを感じてしまう」とも言っていた。半年近く会っていないため、本心は分からない。彼女自身は心優しい性格のため、もしかしたら施設に入れること自体に葛藤があって、ものすごく悩んでいるのかもしれないとも想像する。家族関係を根掘り葉掘り聞くこともはばかられ、そのうちに連絡は途絶えてしまった。

若者が祖父母や親の介護をしなければならない状況は増えていると思う。行政に任せればいいじゃないか。そう思うかもしれない。だが、そう簡単な話ではない。行政が要介護者だけでなく、周りの家族のことまでを把握するのは難しいからだ。介護を必要する人が介護保険サービスを受けられるように、ケアプランの作成やサービス事業者との調整を行うケアマネージャがつく。祖母の介護のときに、何人かのケアマネージャと会った。認知症の場合、お客さんがくると普段の様子とは異なりシャキッとすることが多い。私の祖母もそうだった。本来の状態を見てもらうことは難しく、また家族の負担を減らすために親身のヒアリングをするのならば、要介護者を外して時間を作らなければならない。しかし、そのような時間を生み出すのは担当者のやる気次第だと感じた。

事件の加害者、22歳の女性がどうしたら祖母を殺さずにすんだのか。私にも答えは出ていない。必要なのは「おせっかい」なのかもしれないと考えている。介護は経験したことがないと、その大変さが分からないというが、経験していても家族の問題で、踏み込んで話をすることにためらいがある。それでも、私は高校のときに、クラスに同じように家族をケアしている友人と大変さについて話すことで救われたことがあった。思ったことを吐露できる環境を作ることならば、私にもできるかもしれない。私は友人に、「今度ご飯に行かない?」と誘っている。早く実現させたい。

参考記事:

10月28日12時06分毎日新聞デジタル 「限界だった」たった1人の介護の果て なぜ22歳の孫は祖母を手にかけたのか

11月1日16時30分朝日新聞デジタル「夢くだいた家族の不条理 21歳、孫娘の孤独な介護殺人」