ソチ五輪、ブラジルW杯など大きな世界大会が開かれるたびに、「会場がまだ完成していない」と日本メディアは騒いできました。そして2020年東京五輪に向けて、今度は日本が海外から心配されてしまう番なのかもしれません。
29日、下村文部科学相は東京五輪のメイン会場となる新国立競技場について建設計画を舛添東京都知事らに伝えました。総工費は2520億円、流線形屋根の構造「キールアーチ」を維持し、開閉式屋根は五輪後に先延ばしすることになりました。建設計画は決まったものの混乱は収まらず、本当に完成するのかと不安の声は止みません。
この問題の原点とも言える斬新すぎるデザインはどのようにして決まったのでしょうか。2012年11月、国際デザインコンクールで建築家ザハ・ハディド氏のデザインに決定しました。このコンクールでは安藤忠雄氏をはじめ著名な建築家が審査委員を務めました。このデザインを大きなセールスポイントとして招致活動をしてきましたが、いざ開催が東京に決定すると、とても難しい建築物であるとして計画の見直しせざるを得ない状況になったのです。
そもそもデザインコンクールで建築家の意見だけで決めたことに問題があると思います。確かに素晴らしいものを造るのに時間とお金が膨大にあるならばできないことはないでしょう。でも東京五輪までの限られた期限と予算を考慮しなければ実際には造られません。このようなことを建築家だけに丸投げしたこと自体が間違っていたのです。
下村文科相は、総工費2520億円の財源の負担先として東京都に500億円、民間に200億円の協力を求めました。民間の200億円には命名権の売却や寄付が含まれていますが、五輪のメインスタジアムですから命名権を売ったとはいえ、下手な名前をつけられては困ります。
一方、舛添知事は「都民が納得できる説明がないといけない」と再三説明を求めていますが、都は住民監査請求を心配しているのではないかと筆者は考えます。住民監査請求とは地方自治法242条で定められた制度で、住民が自治体の財務に関する行為について監査を求められます。国からちゃんとした説明がなければ都民が納得しないことは明らかで、都民が監査を求めても不思議ではありません。国は都民に対して説明義務を負っているのです。
最大の問題点は、こうした大事業の成功に欠かせない、重い決断を下せるリーダーが不明確なままここまで来てしまったことです。責任者である下村文科相が「責任の所在が不明確」と発言し問題になりましたが、そう言いたくなる気持ちもわかります。文部科学省やJSC(日本スポーツ振興センター)、都など携わる機関が多く、責任をたらいまわしにしている状況があります。巨大な国家プロジェクトを指揮し、責任が取れる人が不在では、不安定な状態のなか時間ばかりが浪費されるのではないでしょうか。
参考記事:30日付 朝日新聞朝刊(13版)35面(社会面)「新国立甘い見積もり」
30日付 読売新聞朝刊(13版)35面(社会面)「新国立見切り発車」