あのドラマはコロナなんか存在しないパラレルワールドだ。顔と顔をくっつけて怒鳴り合い。懐かしいなあ。
今朝の日本経済新聞の一面に、このような一節を見つけ、クスっと笑ってしまいました。ドラマを「パラレルワールド」とは…。まさに言い得て妙な表現です。
新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、テレビ番組の姿は大きく変わりました。出演者が互いに距離を取るのは当たり前。パーテーションを間に置いていることも少なくありません。
一方で、ドラマはどうでしょう。マスクをしない人が行き交う街。テレワークやオンライン授業とは無縁の日常。新型コロナウイルスが流行る前の私たちの生活が、そこにあります。「飛沫が…」などと気にせずに怒鳴り合うドラマの世界がなんだか羨ましく感じる日々です。
自粛生活を続けて約半年。出来ないことを嘆くことよりも出来ることを。そう思ってパン作りや苦手な筋トレを始めてみたり、新しい日常と言われるオンライン飲み会を楽しんだりもしました。また家族と過ごす時間が増えたことは、来年社会人になり、実家を離れる私にとって良かったことのように感じます。自粛生活を求められてなければ、今頃友人とのご飯や旅行に行ってばかりだったかもしれません。
しかし、コロナ前の日常に新しい日常が勝ることはありませんでした。オンラインで繋がっているとはいえ、友人と距離が出来るようで無性に心配になったり、直接話すのは家族のみという状況に不安を覚えたり。月に一回は、半強制的に生み出された閉鎖的な現状をみて、どうしようもなく心細くなるときがあります。
最近は、友人と合宿などの写真を見ては「密だけど、これが楽しかったよね」と話すことが増えました。「新しい日常」といいますが、これが「日常」になってしまうのは耐えられません。応援の声が響きわたることがなかった甲子園。叫ばないことを求められる「絶叫」マシン。熱中症を警戒しながらもどうも外しにくいマスク。やはり今は異常事態です。はやくドラマを「パラレルワールド」と言わない日がくるように。今一度、「新しい日常」とごまかさず「異常事態」と自覚して気を引き締めたいと思います。
参考記事
19日付 日本経済新聞電子版 「春秋」