最期に会えなくても、「弔い」を大切にしたい

3年前、大好きな祖母が急死しました。突然の別れに戸惑い、悲しかったのを覚えています。九州にいる親戚も東京に駆けつけ、通夜、告別式と2日かけてお別れをしました。

ですが、もし、今コロナで亡くなっていたら、そのお別れもままならなかったでしょう。
今朝の朝日新聞に福岡県の30代男性の祖父がコロナで亡くなったときのことが紹介されていました。荼毘(だび)への立ち合いは感染防止のため、5人に制限され、死後の対面もかなわなかったそうです。自分がその立場だったら、と考えると胸が苦しくなりました。

人の死を受け入れるには時間が欠かせません。とくにコロナ遺族は、非難や差別を恐れ、孤独になり、死を受け入れるのにますます時間がかかってしまうのではないかと思います。文中には、宗教学と死生学が専門の島薗進・上智大学グリーフケア研究所長のコメントが。

「悲嘆は分かち合うことで和らげていくことができる。コロナと同じように突然の死をもたらした東日本大震災では、悲しみへの共感と連帯がかなりあった。だが、今回は見えにくい」

コロナで亡くなった方は、国内で1000人を超えています。ご遺族に対する連帯を強要しようとは考えませんが、彼らの悲しみを少しでも和らげるためには、一人一人が誤解や偏見に基づく差別をしないよう意識する必要があると思いました。

遺族が死を受け入れるには、折に触れて死者に思いをはせ、祈りを捧げる「弔い」をし続けることが大切だと思います。この男性は、故人について繰り返し親族と話したことで受け入れられたそうです。

葬儀の形も大きく変わってきています。簡素化が進んだり、新たにオンラインを導入したりしているようです。私は葬儀会社でアルバイトをしていて、通夜をせず火葬をする「直葬」の手伝いをする機会があります。これまでは生活困窮者に限られがちだった直葬ですが、コロナで人が集まる葬儀を開かない人も多く、最近は増えているようです。火葬前のお別れの時間が限られているため、気持ちの整理がつかない人もいました。

コロナ禍では、最期のお別れも今まで通りとはいきません。最悪の場合、立ち会えないかもしれない。それでも、弔いの気持ちを持ち続けることで、故人を悼むことができます。コロナで死の向き合い方が変わってきていますが、根本は変わらないはずです。

参考記事:

16日付朝日新聞朝刊(東京13版)25面(文化・文芸)「かなわぬ『お別れ』孤独な遺族」