私は元少年Aの出版は看過できない

少年、少女による殺人が起きるたびに、思い起こされる事件。1997年に発生した「神戸連続児童殺傷事件」です。2名が死亡、3名が重軽傷を負った同事件の犯人は、当時14歳の「少年A」。遺体の一部を被害者遺族に送りつけ、「酒鬼薔薇聖斗」と名乗った犯行声明文を出すなど、犯行は衝撃的です。この事件は刑事罰の対象を16歳から14歳に引き下げる少年法改正のきっかけにもなりました。

事件から18年、元少年Aは手記を出版しました。

「自分の物語を自分の言葉で書いてみたい衝動に駆られた」

手記の中で元少年Aは、執筆の動機をそう書いています。当時の精神状況や社会復帰後の生活、遺族へのメッセージなどが綴られています。

出版は、遺族への配慮に欠けた愚行です。「自分の物語を自分の言葉で」書くのは、本人の自由でしょう。しかし、出版という形で社会に発信する必要はありません。この事件は極めて特殊、特異的なものです。つまり、レアケースです。公益性のある情報は少ないでしょう。加えて、元少年Aは毎年、遺族へ手紙を送っています。元少年Aの言う「自分の物語」は、少なくとも遺族へは伝わっているはずです。遺族のみが知っていれば問題のないことを、広く一般へ向けても開放する意味・意義が全く分かりません。

出版元の太田出版はどう考えているのか。同社の岡聡社長はこう話します。

「ご遺族の気持ちを傷つけたことは重く受け止める(中略)今の社会を考えるきっかけになるとの思いで出版した」

全くもって詭弁です。18年も前に起きた事件が、どういう経緯で「今の社会を考えるきっかけ」となるのでしょう。事件の詳細や概要は今でも十分に知ることができます。さらに家庭裁判所は当時、事件の注目度の高さなどを考慮し、例外的に精神鑑定結果を公表しています。

遺族の気持ちを受け止めるのなら、出版の中止・回収を即時に行うのが適切でしょう。私は今回の出版を看過することはできません。

 

参考記事:

10日付 朝日新聞デジタル(05時00分配信)「神戸連続児童殺傷事件、元少年が手記出版」

11日付 朝日新聞朝刊(大阪14版)社会(33)面「神戸児童殺傷 加害男性の手記出版」

11日付 読売新聞朝刊(同版)社会(32)面「元少年手記出版 『贖罪とは違う』 山下京子さん」