志村けんさんの「死」を利用するな

 29日、コメディアンの志村けんさんが新型コロナウイルスによる肺炎のため亡くなられた。享年70歳。山田洋次監督の映画「キネマの神様」で初の主演に決まり、撮影に入る矢先のことであった。

 昭和、平成、令和を駆け抜け、その間ずっとお茶の間を沸かせてきた人気者の訃報は衝撃が大きく、国内外から悼む声が聞こえてきた。

 一方で、その死に対して、このような声も聞こえてきた。

ウイルスの怖さを身を持って教えてくれた

志村けんさんの死を通してコロナの恐ろしさを知れた。ありがとう

 確かに、志村さんの急逝が新型コロナに与えた影響は大きい。今まで、「○○県○○代○性」としか表記されてこなかった死者が、初めて「志村けん」という老若男女誰もが知る固有名詞で伝えられたことで、新型コロナの危険性が再認識されたのは事実だろう。

 しかし、ある種の美談調で語られるこれらの言葉は、「志村さんの死を無駄にするな」という考えと表裏一体であり、死を悼む気持ちより自粛ムードを助長することに力点が置かれているように思う。

 それをより端的に表しているのが、小池百合子東京都知事の発言だ。

コロナの危険性についてメッセージを皆さんに届けてくださったという、最後の功績も大変大きいと思っています

 まるで、活動を自粛しない人は「志村さんの死(功績)を無碍にする人」とでも言いたげだ。

こうした発言以外でも、ネット上では「中国に殺された」「亡くなったのは中国のせい」といった憎悪を煽る悪質なコメント、安倍晋三首相に対する同様の批判も散見された。

これらは志村けんさんが亡くなったことに対する憤りや悲しみよりも自分が伝えたいメッセージに力点が置かれている。

 人の死を利用するな!

こんな当たり前のことまで声に出して言わねばならないほど、いま日本社会は疲弊しているのかもしれない。

31日付 日本経済新聞、朝日新聞、読売新聞 志村けんさん関連記事