9年目、女川で見たこと。

宮城県牡鹿郡女川町は、9年前の東日本大震災で未曾有の被害が出た自治体の一つである。3月11日に女川町を襲った津波の高さは14.1m。死者611名、行方不明者261名。震災後に人口流出が加速し、震災前年に10,051人を数えた人口も、先月29日時点で6393人にまで減った。

筆者は3年前からこの町に通うようになった。津波で女川町内の銀行に勤めていた息子を亡くした夫婦に会うためだ。「災害で命を失わないためにどうすれば良いのか」「企業管理下における防災・減災とは」。これから企業に勤める我々学生に向けて、夫婦は語りかける。いつしか女川町は自分にとって命の大切さを考える特別な場所になった。震災9年目を迎える今月11日にも友人たちを連れて同町を訪問した。夫婦の話に耳を傾け、命の尊さについて思いを馳せた。

午後2時46分、女川湾の方向に向き、黙祷をした。 コロナウイルスの影響で人は少ない。それでも、女川に訪れた人は皆、海の方に向き合い、祈りを捧げていた。

黙祷後、震災遺構となった旧女川交番の前で朝日新聞の腕章をつけた女性記者に出会った。その記者には見覚えがあった。1週間前震災当日に女川交番に勤務していた警察官の記事を書いた記者だ。「あの記事、読みましたよ」。そう伝えると記者は「実はこの後、当時勤務していた警察官が来る。一緒に話を聞かないか」と思いがけず誘われた。二つ返事で応じると、まもなくその警察官が現れた。

警察官は呟く。「ここで何があったか。この倒壊した交番を目にして想像してほしい」。

あの日から9年。風化が進む中、災害の記憶を継承する必要性は高まっている。女川で命と向き合った私たちが、次の伝承の担い手となる。次世代の人々が災害で命を失わないために。目撃者の一人として、背筋が引き締まる。

参考記事:
17日付読売新聞朝刊(東京13版S)33面「3.11の記録 俺、聖火ランナー」
5日付朝日新聞デジタル「『女川壊滅!』叫んだ警察官 交番は震災遺構となった」

参考資料:
総務省消防庁「東日本大震災における市町村別死者数等及び住家被害等」(平成26年9月1日現在)

女川町「人口統計」