ウイルスに負けているのは命か、それとも心か

人生最後の卒業式が中止になった。サークルの卒業生イベントが延期(実施するかは未定)となった。卒業旅行の行き先は国外から国内に変更され、5日間から2日間へと縮小した。飲食店からは人が消え、街にはマスクをした人が行き交う。世間は「自粛」「中止」「休校」の嵐。暗く、重苦しい空気が漂っている。学生最後の月間は、計らずとも忘れられない月となった。

 

この数週間、どこに行っても誰と話しても、「新型コロナウイルス」が話題にのぼる。今日、訪れたネイルサロンでの会話も例外ではなかった。

担当したネイリストの女性が言った。

「ほんともう、いい加減にしてくれよ中国、って感じですよねー」

軽い口調だった。呆気にとられた私は、どう返そうかと言葉に詰まった。正体不明の感染症を誰かのせいにしても仕方がない。けれど、悪意のない彼女にそれを言っても、ただその場の空気が重くなるだけだろう。「感染源がわからないのは怖いですね」などと話をごまかすしかなかった。

 

今、世界中で蔓延しているのは、「ウイルス」だけではない。感染拡大に付随した「差別意識」だ。

2月の半ばに訪れた、トルコ・イスタンブール。観光中、近くにいた若い集団がこちらに向けて「コロナウイルス」と口々に言い放った。続けて、ニヤニヤしながら咳をする真似をする。その悪意に満ちた行動に、私の心には苛立ちとも悔しさとも失望とも言い難い、どんよりとした感情が沸き起こった。

同時期に訪れたヨーロッパ諸国でも、幾度となく嫌な思いをした。どこに行っても、周囲からの冷たい視線を感じる。「日本人?中国人?」とコソコソ話しているのが聞こえる。目の前から来た人に避けられたり、すれ違いざまに口を覆う仕草をされたこともあった。

 

一体、私が何をしたと言うのだろう。ただ、「アジア人」「日本人」というだけでこんなにも嫌な思いをしたのは、生まれて初めてだった。

「日本は危険」との印象が広がった反省から、政府は感染拡大を防ぐ日本の取り組みについて、海外への情報発信を強化している。13日までに海外メディア向けの記者会見などを8回、在京外交団への説明会を6回行った。だが、世界中で市民レベルでの差別意識がそう簡単になくなるとは思えない。

 

感染症に国境はない。闘うべき相手は「新型コロナウイルス」であって、「中国」や「アジア人」ではないはずだ。にも関わらず、世界中で中国人やアジア人に対する風当たりは強い。感染者が増加しているヨーロッパ人にも、あるいは今後感染が拡大する他国の人にも、いずれ同様の傾向が見られるようになるかもしれない。

もちろん、マスクでの外出を心がける、手洗いうがいをこまめにする、濃厚接触を避ける、といった予防に各々が取り組むことは必要だ。国家レベルでの様々な対策も求められるだろう。だが、必要以上に人が人を疑い、遠ざけ合うようになれば、体がやられる前に心がやられてしまうのではないか。

 

人間は、恐怖を感じると、自身を守ろうと他者との間に壁を作る。いつの時代も、差別というのは他人や社会への不安、恐れから起こるものだ。だから、感染拡大に対する恐怖から差別意識が広がるのも無理はない。

民間会社「サーベイリサーチセンター」のネット調査によれば、対象となった4700人のうち8割以上の人が感染拡大について「不安」との回答をしている。多くの人が予定していた行事を控えていることから、こうした感情が日常の行動や生活に影響を与えていることもわかった。

だが、単に「怖い」と決め付け「不安」を感じるのではなく、どんな状況下でどのような人が感染し得るのか、感染した場合どのような影響があるのか、といった細かい事実に向き合うことが重要だ。それだけでも、差別にまみれた社会の空気は変わるのではないだろうか。

 

新型コロナウイルスが収束する気配はない。先の見えない中で、人々の不安がより大きくなっていくのがわかる。閉塞感の中で、日に日に不満が溜まっていくのを感じる。それでも、私たちは各々が知識を得て、できる対策を講じ、最善を尽くすしかない。

 

今日、東京では気象庁が桜の開花を発表した。雪の降る中、寒さにも負けず懸命に咲く花に、元気をもらえたような気がした。花見の自粛要請に肩を落としている人も多いだろうが、来たる桜の季節と美しく咲き誇る花々に未来への希望を見出せはしないだろうか。

 

 

参考:

14日付 読売新聞朝刊(東京13版)4面(政治)「『日本は危険』一掃へ」

同日付 朝日新聞(東京4版)6面(社会・総合)「感染拡大『不安』8割」