昨年6月、政府は「輝く女性応援会議」の公式ブログを開設しました。ここでは、自衛官や農業従事者、芸能人などの様々な分野の女性が書いた記事が紹介されています。
それを内閣官房がツイートし、働く女性を応援しようというものです。
5月18日、このようなツイートがなされていました。
「朝起きるのがつらい日も作るのがおっくうな日もある。それでも毎日早起きをしてキャラ弁を作れる理由とは?」
幼稚園になじめない息子を励ますために、キャラ弁を作り、レシピ本をだすまでになったお母さんを紹介した記事とともに、内閣官房の担当者がつぶやいたと見られる一言に批判が殺到。その中でも特に多かったものが、「母親へのプレッシャーだ」というコメントでした。
「キャラ弁の分野で頑張るお母さんもいる」という話題を提供したのが、世間からの反発
を招いた理由はどこにあるのでしょうか。
私は、この記事は、「お弁当=母親=愛情」の考えを助長するものであったと感じました。お弁当は母親がつくるもの、お弁当は母親からの愛情、そういった日本人の固定観念が表れていて、そしてこの考えが働くお母さんの足かせになっていることは、否定できない事実のように思われます。
毎日かかさず作ってくれていた母親のお弁当が当たり前だった高校生のころ、ホームステイでアメリカに行き衝撃をうけました。ステイ先には、同年代の娘さんがいました。ある日、お昼ごはんにと、その子と私に渡されたものは食パン2枚と、ジャムの瓶。また違う日に渡されたものは具のないインスタントラーメンのみ。シリアルスティックとスナック菓子の日もありました。
あまりの衝撃に、つい、その子に自慢げに日本のお弁当を紹介したことがあります。するとかえってきた言葉は、「あなたのお母さんは時間があるのね。私のお母さんは仕事で忙しいし、私はこれで十分よ」といったようなものでした。海外には、働くことに対する、子から母への理解と配慮があり、お弁当が愛情の指標となっていないことを知りました。
キャラ弁はわるいことではないですが、母親の重圧になることは否めません。子育てと仕事の両立をかかげる政府が、キャラ弁を応援するかのように発言したのはあまり賛同できません。
働く女性を応援するのならば、お母さんがお弁当をつくらないといけない、お弁当はお母さんからの愛情だ、といった思い込みを払拭してくれるような投稿がのぞましいと思います。