自民党勉強会発言 常識の溝

このニュースを初めて読んだとき、最初に覚えたのは「どうしてこうなることが分からなかったのだろう?」という強い違和感でした。特に問題に思えるのは、件の勉強会に参加した議員の見通しの甘さです。

そもそも何のために開かれたのでしょうか。首相を応援する会、だとすれば、自らの手で会の趣旨をまるっきり没却してしまったようです。この「文化芸術懇話会」は自民党の国会議員が立ち上げた勉強会です。「心を打つ『政策芸術』を立案し実行する知恵と力を習得する」という目標を掲げ、25日がその初回でした。講師として招かれたのは作家の百田尚樹氏で、彼は安倍首相と共著を発表するなど思想的に近しい仲にあります。一方、文化芸術懇談会の主催議員の一人は、朝日新聞の取材に対し「安倍さんのやっていることが正しいと発信してもらう。安倍さんを応援する会だ」と答えています。

では彼らが言う応援とは何を指していたのでしょう。『政策芸術』とは曖昧な言葉ですが、「効果的な説明の仕方や訴えかけ方を勉強する会なのだろうな」という印象を受けます。だとすれば安倍首相の意見を多くの耳目に晒し、フィードバックを得ながら細かな修正を重ねていくことが応援になるはずです。ですが参加議員の認識は逆でした。

講演後の質疑では、議員の一人が「マスコミを懲らしめるには広告収入がなくなるのが一番だ。民間人が経団連に働きかけてもらいたい」と発言しています。気に入らない報道に反論するのではなく、報道させない方が首相の応援になるのでしょうか。そもそもメディアは政府がお金でコントロールできるものなのでしょうか。民主政治における自由な報道の重要性をどう考えているのでしょうか。常識の溝を感じずにはいられません。

音好宏・上智大教授の言うように、「多様な意見があることは政治の健全化につながる」のであって、反論それ自体を敵視するのはどの政党にとっても好ましくありません。ゼミでもディスカッションでも、普通リーダーは発言を促すために躍起になるものです。あえて一人ひとりに反論がないか聞いて回ることだってあります。それは後にわだかまりを残さないためでもあるし、論議の結論をより説得的なものにするため外してはならないステップです。異論がないということは、これ以上の進歩が見込めないということでもあります。こんな当たり前のことに思いが至らないとは。本当に彼らは首相を応援するつもりがあったのか疑わしく思えてきます

自民党議員たちの首相を応援しようという思いが裏目に出た形となりました。外部から反対されることへの恐怖が先行し、問題へ取り組む真剣ささえ共有できていなかったのでしょうか。器量の小ささに眩暈がしてしまいます。

 

<参考記事>

6月27日(土) 朝日新聞朝刊14版 1面『自民勉強会発言 与野党から批判』

6月27日(土) 読売新聞朝刊14版 4面『報道規制発言 批判相次ぐ』

 

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