「みんな盛り上がる準備はできてるか」「さあ行くぞ横手」「野球は何が起こるか分からない」
8回裏、秋田県代表横手高校の攻撃を迎えた。強豪の敦賀気比高校から1点も取れず、10対0。しかし、声援の大きさは1回から変わらない。むしろ大きくなったようにも感じられる。進学校として知られる横手高校にとって、57年ぶりの甲子園。アルプス席には地元にとどまらず全国から大勢が駆け付け、紫色の帽子が揺れていた。 気温は30度を超え、日陰がないにも関わらず、応援団長は白袴を着て声を張り上げる。
そんな中、故人を連れてきた観客が何人もいた。
100人いるブラスバンドの約半分は横手高校のOBやOG。全国に散らばっているにも関わらず、この日のために各自が練習を重ね、甲子園球場に集まった。その中の一人50代の男性は、猛暑の中、顔を真っ赤にしながら凝ったデザインのラッパを吹く。首からネックストラップで下げている大きな写真の中には、本番さながらのヨーロッパ調の衣装で金管楽器を演奏する男性の姿があった。
「彼は19年前、交通事故で亡くなったんです」。試合の様子を気にしながら、男性は語る。大学時代、同じブラスバンド部に所属しており、本当に仲の良い友人だった。「すごくブラスバンドが好きな人で。だから連れてきました。きっとここに来たかっただろうと思って」
時折、周りのブラスバンドOBたちと、笑顔で話しながら応援する。「57年ぶりですよ」。そう語る男性の顔には、音楽の力で母校とともに闘う一員になれたことへの喜びがあった。
「ちょっとお話、いいですか」と頼む私に、「話せることあるかしら」と言う70代の女性。猛暑の中少し疲れた顔をしながらも、真剣なまなざしで試合を見つめる。ヒットを決めたときは少しよろけながらも立ちあがって拍手をする。選手の祖母だという。朝早くから練習し、夜遅くに帰宅する孫をいつも見守っていた。進学校でもある横手高校の強さについて、集中力ではないかと話す。
「すごく元気がある子で、声かけとか人一倍頑張っている子なんです」。そんな選手に野球を教えたのが女性の夫。「孫に野球を教えた人なんです」。野球の経験があり、選手が小さい時からいつも、キャッチボールなど、野球の練習を一緒にしていた。「だから、夫も孫の晴れ舞台、見たいだろうと思って」。そう話す女性は、茶色の額に入っている夫の遺影をカバンからちょこんと出し、それをグラウンドの方向に向けながら、応援する。
そんな女性の斜め後ろには、秋田県から車で12時間かけて来たという50代の男性が座っていた。息子は2年前、同高校の野球部を卒業。いま、グラウンドで戦っている3年生は息子の後輩たちである。「だからより一層思い入れがあって、見に来たんです」。そんな男性は大きな額に入った写真を持ち、帽子を二重に被りながら応援する。横手高校の攻撃の時も写真を大切そうに抱えながら立って声援を送る。写真の中には野球をするときの格好でサングラスをかけた初老の男性の姿があった。「2年前に病気で亡くなったバスの運転手なんです」。横手高校は練習グラウンドから遠く、いつもバスで練習に行くそうだ。「運転だけでなく、審判などもし、練習に付き合ってくれた人で、息子を含め部員は本当にお世話になった」「部員にもたくさんの励ましの言葉をかけた人なんです」と紹介してくれた。
インスタグラムで繋がった人から、「連れて行ってあげてくれ」と頼まれ、遺影と審判の時に使っていた帽子を託された。「部員たちを支えてくれた人だから、この晴れ舞台、見せてあげたかった」。そんな男性は、二重に被っている帽子のうちの上のほうを手に取り、内側を私に見せてくれた。おでこが当たる部分は伸びており、一目見ても分かるほど年季が入っている。そして、つばの裏側にはマジックペンで、持ち主だった人の名前が小さく書かれていた。
間もなく盆の入りという一日、故人も一緒に野球を見ていた。
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甲子園大会第7日の8月11日。あらたにすの記者10人が各地から球場に集まり、球児たちの活躍ぶりや歓声に沸く応援席を取材しました。それぞれが猛暑のなかで繰り広げられたドラマから何を切り取り、どんなことを伝えるのか。順次、掲載していきます。

