国立西洋美術館で開催中の『テート美術館展ーYBA &BEYOND世界を変えた90s英国アート』に足を運びました。そこで目を引いたのは、ジェイク&ディノス・チャップマン兄弟によるミニチュアのジオラマ《戦争の惨禍》です。18世紀から19世紀初頭の画家ゴヤが描いた同名の版画集を元にしたもので、目を背けたくなるような戦時下の蛮行が描かれています。
この作品は、鑑賞者の視点によって見え方が一変します。立ったまま「俯瞰」して眺めている間は、単なるミニチュア模型にしか見えません。しかし、腰を落とし、模型と同じ高さに視線を合わせた途端、小さな犠牲者たちの生々しい状況が浮き彫りになります。非道の数々に思わず目を背けたくなるほどですが、再び背を伸ばし、美術館の静寂な背景の中に作品を置くと、その残虐さはまたぼやけてしまいます。
解説文には「マスメディアの発展により戦争を遠くから『俯瞰する』現代人のグロテスクな無関心さと共鳴」とありました。チャップマン兄弟が指摘しているのは、メディアが情報を伝える上での限界です。報道システムの発達は世界中の悲劇をリアルタイムで届けることを可能にしましたが、同時に私たちを、戦争を遠くから俯瞰する立場に固定してしまったのです。
浦沢直樹さんの漫画『PLUTO』でも、戦場でロボットが苦しみの声を上げる傍らで、人間はロボットという媒体が介在することで残酷な現実から身を離し、無関心に陥る姿が描かれています。何かの媒体を通すことで悍(おぞ)ましい現実がぼやけてしまうことは、情報技術に取り囲まれた現代の私たちが直面する課題です。
では、現在、溢れかえる戦争の情報を私たちはどう受け止めるべきなのでしょうか。情報の受け手として、あるいは記者として、俯瞰の視点から抜け出す術はあるのでしょうか。ピューリッツァー賞を受賞した報道写真家・沢田教一氏の『安全への逃避』は、戦火を逃れて川を泳ぐ家族の姿を捉えています。ここにあるのは、まさに腰を落として、一人の痛みに視点を合わせるというメディアの役割です。美術館の白い壁にぼやけてしまう、ジオラマの小さな犠牲者たちの尊厳が、しっかりと守られる報道のあり方を考えていきたいです。

