生まれてきた我が子に、障害があった。この事実を淡々と受け入れられる親が、どれほどいるだろうか。
中村真理さんは障害福祉事業所「結び-me」の代表を務める。重度の知的障害をもつ次男の慶志さん(18)を育てるなかで、この事業所を立ち上げた。障害のある人の自宅での生活を支える居宅介護や、外出に同行する移動支援を手がけている。
立ち上げのきっかけは、コロナ禍で勤務先の不動産会社から受けた突然の解雇通告だった。当初は、「これまで貢献してきたのに」とショックを受けた。だが、その翌日にひらめいた。「障害児育児の経験を、仕事として生かせないだろうか」。まるでオセロの石が黒から白へ一気にひっくり返るような感覚だったと振り返る。
若者にこそ、知ってほしい
結び-meでは大学生のボランティアスタッフを積極的に受け入れている。中村さん自らが大学へ足を運び、呼びかけた結果だ。なぜ、若者の受け入れにこだわるのか。
「若い人には吸収力があります。社会の中で少数派とされる人たちの暮らしや思いを知ることは、人間としての厚みにつながるはずです」
移動支援に参加したという学生に話を聞いた。「当事者やその家族ではないとなかなか気づけない課題を知ることができた。全てを知ったわけではないが、少しでも、障害をもつ人やその家族の気持ちに近づけた気がする」と手応えを語った。
私も知らなかった 無知が偏見の原因
中村さんが若者の参加機会を重視する背景には、自身の過去がある。
高校一年生のときのことだ。文化祭で障害児の校内見学を手伝うボランティアを軽い気持ちで引き受けた。
当日、中村さんが担当することになったのは脳性麻痺の児童だった。どう接したらいいのか分からない。正直、恐怖を覚えた。「お腹が痛くなって…」。そう嘘をつき、現場から逃げ出した。
その後、自らが障害児を育てる立場になって初めて気づいた。障害児やその家族に向けられる世間の目がいかに冷たいか。ときに大声を出したり、飛び跳ねたりする慶志さんと歩くとき、街ゆく人々から向けられる視線が苦しかった。
「私にとってはオルゴールの音色のように愛おしい息子の声も、周囲には迷惑な音に聞こえるのかもしれない」
落ち込む中で思い出したのが、高校時代の自分だった。あのときは、知らなかったから怖かったのだ。身をもって気づいた。
障害をもつ子の親 どう支える
「一人でも多くのヘルパーや、障害者に関心を寄せる人が増えてほしい。それは巡り巡って、いつか我が子や、同じように支援を必要とする誰かを助けることにつながる」。中村さんの活動を支えるのは、愛する我が子への深い思いだ。
我が子に障害があると分かったとき、自分を責める親もいるだろう。どんな支援制度があるのかわからない。どこで情報を入手できるのかもわからない。誰にも頼れないまま、虐待や育児放棄に繋がってしまう場合もある。親亡き後の不安もあるはずだ。
生まれてきた我が子に、たまたま障害があった。それでも、安心して子育てができる。我が子が幸せな日々を送ることを確信できる。そんな社会は、誰にとっても生きやすい社会なのではないか。親だけに負担を強いることのない社会のあり方が、いま問われている。
