祈りの場に響いた抗議の声 沖縄戦81年、平和をめぐる現在地

6月23日、太平洋戦争末期の沖縄戦における組織的戦闘が終了してから81年を迎えた。最後の激戦が繰り広げられた沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園では「沖縄全戦没者追悼式」が営まれ、玉城デニー沖縄県知事や高市早苗首相、衆参両院議長らが参列した。

(2026年6月23日筆者撮影 沖縄県摩文仁市、平和祈念公園)

イスラエル・イランをめぐる戦闘。いまだ止まらないウクライナ侵攻。大国が躊躇なく武力を行使し、ナフサショックとして私たちの生活に影響を及ぼす局面を迎えている中、多くの命が犠牲となった沖縄の土地で人々は何を思ったのか。筆者は「沖縄全戦没者追悼式」に参列した。

 

■「鉄の暴風」、旧日本軍と米軍による土地の収奪

沖縄県では太平洋戦争末期、県民を巻き込んだ地上戦が続き、約20万人が死亡した。そのうち、民間人の犠牲者は9万4千人を超える。当時の沖縄県民の4人に1人が亡くなったといわれている。

南洋群島での米軍勝利により日本本土での決戦の可能性が高まっていた中、旧日本軍は1944年、沖縄を本土防衛の防波堤と位置付けた。実戦部隊が沖縄諸島に次々と配備され、防衛強化が本格化する。創設された第32軍(沖縄守備軍)は、航空作戦のために沖縄本島や周辺離島の住民の土地を強制的に取り上げ、飛行場の建設を進めた。

同年10月10日には、第32軍が建設を進めた飛行場周辺を米軍が空爆する。いわゆる「十・十(じゅうじゅう)空襲」だ。約9時間に及ぶ攻撃は那覇市街地の約90%を焼失させ、330人が死亡、445人が負傷した。

米軍は45年3月26日、沖縄本島の西にある慶良間(けらま)の島々で攻撃を開始した。飛行場周辺地域に徹底した艦砲射撃を浴びせ、4月1日には本島に上陸。その日のうちに、飛行場は占領される。中飛行場(現・嘉手納基地周辺)は戦闘の影響を受け使用不能になっていたが、米軍は修理・拡張を進め、沖縄戦における戦闘機出撃基地として使用した。米軍は旧日本軍の抵抗をものともせず、沖縄本島を南北に分断するほど進撃した。

(2026年6月21日筆者撮影 沖縄県中頭郡嘉手納町、嘉手納基地から離陸しようとする米軍機)

日本側にとって戦況は悪化の一途をたどり、第32軍の牛島満司令官は本土防衛のために時間を稼ぐ決断をする。5月27日には、南部への撤退を開始。南部一帯は大規模な住民避難所となっていたため、軍の移動は民間人犠牲者の増加につながった。

6月23日、牛島司令官ら軍首脳の自決により、沖縄戦における組織的戦闘は終了した。しかしながらその後も戦闘は続き、多くの一般住民が巻き込まれて命を奪われた。米軍による激しい空襲や無数の砲弾は沖縄上空を覆い、その様子は「鉄の暴風」と語り伝えられている。

 

■戦闘へと駆り出された生徒・学生

戦禍に振り回されたのは、当然ながら大人だけではなかった。人員の不足が深刻となった旧日本軍は、中学校や師範学校、高等女学校の生徒ら約2000人を戦場へと駆り立てた。彼らは、「鉄血勤皇隊」や「ひめゆり学徒隊」などとして、日本軍の陣地づくりや負傷兵の看護などをさせられた。

主に看護活動などに動員された「ひめゆり学徒隊」の生徒らは沖縄陸軍病院で、生きるのに必要な最低限度の食事のみで休む間もなく働いた。戦闘が激しくなると、犠牲者・傷病者の数は増える。同病院の置かれた壕には、彼女たちが横になる場所すらなかった。

(2026年6月22日筆者撮影 沖縄県糸満市、ひめゆりの塔)

第32軍が南部撤退を開始した5月下旬、沖縄陸軍病院にも撤退命令が下された。病院の関係者や教師・生徒らは、患者に手を貸しながら南部へと急いだ。その道中で米軍による砲弾の犠牲となった者も少なくない。6月18日、学徒隊に「解散命令」が言い渡された。これは米軍の包囲網の中に生徒らを放り出す結果となり、多くの犠牲者を生んだ。

沖縄陸軍病院に動員された生徒・教師240人のうち、136人が亡くなった。学徒隊として戦闘へと駆り出された生徒・学生は、大人が始めた戦争に加担させられ、その最前線で戦争の犠牲となった。

 

■「沖縄全戦没者追悼式」、高市首相のあいさつと抗議の声

「鉄の暴風」とその後の暴力の記憶は、確かに沖縄県民に語り継がれている。高市首相に対する抗議の声は、その事実を如実に示した。

6月23日に平和祈念公園で営まれた「沖縄全戦没者追悼式」には、遺族ら約3200人が参列した。玉城氏は「平和宣言」で、「大国の力による一方的な現状変更の試みによって国際情勢が揺らいでいる」と指摘し、平和を実現することは「空虚な理想論ではなく、取り組むべき責務」などと訴えた。この宣言には日本語のほかに、しまくとぅば(古くから沖縄で話されている言葉)と英語が混ぜられている。沖縄戦で犠牲となった沖縄県民の御霊、そして、在沖米軍らにも向けたものなのだろう。

(2026年6月23日筆者撮影 沖縄県摩文仁市、玉城デニー沖縄県知事)

 

玉城氏の「平和宣言」のあと、中学2年の亀谷琉奈さん(14)が「生きたいと願った証(あかし)」と題した平和の詩を朗読した。曾祖母(故人)の体の傷跡に着目した自作の詩だ。

「平和は当たり前じゃない たくさんの人の涙と苦しみと 『生きたい』という願いの上にある だから私は忘れない」

亀谷さんは真剣なまなざしで、力強い声で、命の大切さと記憶を継承していく決意を語った。

 

粛々と進められた式の空気は、高市氏の登場で一転した。高市氏が来賓あいさつのために席を立ってすぐ、「戦争反対」「9条を守れ」という男性の声と、それに対する拍手の音が響いた。それに呼応するように、複数の男女が叫ぶ。その声には、強い怒りが含まれていた。

抗議の声が響く中、首相は淡々とスピーチを続ける。「私たちが享受している平和と繁栄は、この地で命を落とされた方々の尊い犠牲と、沖縄の歩んだ筆舌に尽くしがたい苦難の歴史の上に築かれた」としたうえで、「平和な世を実現するため不断の努力を重ねていく」と述べた。

(2026年6月23日筆者撮影 沖縄県摩文仁市、高市早苗首相)

筆者は高市氏のスピーチを現地で聞く中で、「沖縄の皆様には、戦後80年を経た今もなお、米軍基地の集中による大きなご負担を担っていただいております」との部分が引っ掛かった。今なお沖縄県に集中する米軍施設の多くは、旧日本軍が沖縄県民から取り上げ、その後米軍の管理下に置かれた土地にある。一方的な暴力の末に基地を受け入れざるを得なかった沖縄県民に対して、その負担を「担っていただいて」いるとの発言は、ずいぶんと身勝手なものだ。このような発言の数々が、抗議の声を上げた人々の怒りの発端となったのではないか。沖縄県民でない筆者は、想像することしかできなかった。

 

■戦後81年の今、「空虚な理想論」にさせないための継承

沖縄をめぐる状況は大きく変化している。抗議の声は昨年の追悼式でも響いていたが、両方に参列した筆者としては、今年のほうが圧倒的に激しかったと実感している。その大きな要因は、挨拶に立つ首相が石破茂氏から、より強力な外交・安全保障を掲げる高市氏へと代わったことにあるだろう。現在「有事」の「最前線」とされる沖縄で生まれ育った人々は、その危機感を誰よりも敏感に察知している。

(2026年6月22日筆者撮影 沖縄県宜野湾市、嘉数高台展望台から見える普天間飛行場)

先の大戦から81年を迎え、戦争を知る世代は急速に減っている。総務省の人口推計によると、戦前・戦中生まれは約1389万人で、総人口の11.2%まで減少した(2024年10月時点)。「生きたいと願った証」を身体に持つ人は、もう多くはいない。しかしその記憶は、何代にもわたって語り継がれていく。彼らの苦しみが完全に忘れられない限り、平和の実現は「空虚な理想論」なんかではない。

 

参考記事:

・2026年6月24日付 朝日新聞(西部) 朝刊1面 「揺らぐ世界 祈る沖縄」

・2026年6月24日付 朝日新聞(西部) 朝刊2面 「首相と沖縄 距離浮き彫り」

・2026年6月24日付 朝日新聞(西部) 朝刊24面 「戦争による傷 もう二度と」

・2026年6月24日付 朝日新聞(西部) 朝刊27面 「沖縄の犠牲 向き合い 誓う」

・2026年6月24日付 読売新聞(西部) 朝刊1面 「沖縄戦81年 刻む」

・2026年6月24日付 読売新聞(西部) 朝刊29面 「曾祖母が自分で引っ搔いた傷 『生きたい』と願った証」

・2026年6月24日付 読売新聞(西部) 朝刊29面 「首相にヤジも」

・2026年6月23日付 朝日新聞(西部) 朝刊27面 「一家全滅 家跡が語る沖縄戦」

・2026年6月23日付 日経新聞 朝刊39面 「沖縄戦伝承 主役は『孫世代』」

・2026年6月20日付 読売新聞オンライン 「沖縄戦で集団自決が相次いだ『玉砕場』、こん棒で頭が陥没した2歳の記憶…母は死亡し殴った親戚は自決」(最終閲覧:2026年7月4日)

https://www.yomiuri.co.jp/local/kyushu/news/20260620-GYS1T00003/

・2025年8月16日付 朝日新聞(西部) 朝刊2面 「戦前戦中生まれ 人口の11.2%」

 

・2026年6月24日付 西日本新聞 朝刊2面 「首相 透ける沖縄軽視」

・2026年6月24日付 毎日新聞(西部) 朝刊23面 「『9条守れ』首相にヤジ」

・2026年6月23日付 琉球新報 特別号 「日常の大切さ感じて 亀谷さん、曾祖母へ思い」

・2026年6月23日付 沖縄タイムス 朝刊特集面 「32軍 住民無視の南部撤退」

・2026年6月23日付 沖縄タイムス 朝刊1面 「きょう慰霊の日 全戦没者を追悼」

・2026年6月23日付 沖縄タイムス 朝刊2面 「軍撤退 合理性に疑問」

 

参考資料:

・沖縄公文書館 「あの日の沖縄 1945年3月26日、4月1日 米軍が慶良間諸島・沖縄本島に上陸」

https://www.archives.pref.okinawa.jp/news/that_day/15071

・沖縄公文書館 「あの日の沖縄 1944年3月22日 大本営直轄の第32軍(沖縄守備軍)創設」

https://www.archives.pref.okinawa.jp/news/that_day/14903

・ひめゆりの塔 ひめゆり平和祈念資料館 「ひめゆり学徒隊と沖縄戦」

https://www.himeyuri.or.jp/himeyuri/study_war/

・ひめゆりの塔 ひめゆり平和祈念資料館 展示資料

・道の駅かでな 学習展示室・展望所 展示資料

(最終閲覧はすべて2026年7月4日)

 

あらたにす沖縄関連記事:

・2025年11月23日付 「PFASってどんな物質?  健康や環境を脅かす水とは」

https://allatanys.jp/blogs/28520/

・2025年8月25日付 「撃沈した対馬丸 太平洋戦争中、疎開船も攻撃対象になっていた」

https://allatanys.jp/blogs/27667/

・2025年7月1日付 「戦後80年を迎える沖縄 石破首相へのヤジと高まる不安」

https://allatanys.jp/blogs/27186/

・2024年2月24日付 「学びの場としての沖縄 日常の中にある普天間基地と嘉手納基地」

https://allatanys.jp/blogs/23232/