なぜ水没しないのか 水面からわずか数十センチの「京都・伊根の舟屋」

230軒が立ち並ぶ、京都・伊根の舟屋。京都府北部に位置し、冬の寒ぶりで有名な漁師町です。映画やドラマのロケ地として、『男はつらいよ あじさいの恋』(1982)、『釣りバカ日誌5』(1992)、NHKの連続テレビ小説『ええにょぼ』(1993)などに登場してきました。

海上から見る「伊根の舟屋」

京都府与謝郡伊根町

(2026年5月2日筆者撮影)

大型連休中の5月2日、筆者は海上乗合タクシーの船に乗り込み、舟屋の様子を見学しました。建物の役割、海と生活が一体となった景観美は陸側からでは見えにくく、海上からでしかその全貌を見ることはできません。現役の漁師さんから「よく報道などで目にする舟屋は、海上から撮影されたもの」との説明を受けました。

母屋(生活の場、主屋)は海沿いの舟屋とは道を挟んだ山側にある家が多く、仕事と暮らしの場が隣り合わせになっているのが特徴です。舟屋の1階は船の保管庫、2階は網干し場や漁具置き場として活用されてきました。

 

伊根町では、1969年まで木造船がほとんどでした。木造船は海水に長時間晒し続けると腐食しやすく、耐久性が落ちてしまうという難点があります。そのため、船を海から地上に引き揚げていました。舟屋の1階部分は、引き揚げやすく、また海水が奥まで入ってこないように緩やかな傾斜がつけられています。

船屋内部

漁船を引き上げるための傾斜がついている

京都府与謝郡伊根町

(2026年5月2日筆者撮影)

しかし、今では漁船を引き上げることは減っています。船の大型化が進んだことや、軽くて丈夫なFRP(繊維強化プラスチック)製の船が普及したことにより、舟屋の前の海にそのまま係留しておくスタイルが主流となりました。これに伴い、船を収納する必要がなくなった舟屋では1階をコンクリートで埋め、海水が侵入しないように改築したうえで、部屋や物置として有効活用する例が増えています。ただ、小型船を持つ家では今でも舟屋の中に収納されており、昔ながらの役割を維持しています。

 

舟屋群の中には、江戸・大正・昭和という異なる時代に建てられた建物が軒を連ねる場所がありました。建築構造は、伊根町の大工の間で古くから引き継がれてきたものですが、京都大学研究班の調査によると、地震の揺れに対して高い強度を持つことが科学的に証明されたそうです。歴史的な情緒をまとうだけでなく、災害に耐え抜く堅牢さを兼ね備えているからこそ、舟屋は今もその姿を留めています。

左から江戸、大正、昭和時代の順に建てられた舟屋

舟屋を観察していると、ひとつの疑問が湧いてきます。「1階と海水面の間隔はわずか数十センチしかなく、潮の満ち引きで水没しないのだろうか」と。

その心配は全くありません。その理由は大きく分けて3つあります。

 ①三方を小高い山に囲まれ、伊根湾の出入り口には、中央部に浮かぶ無人島の青島があり、波や風を和らげる防波堤の役割を果たしていること。

②浅瀬がなく、急に海が深くなっていること。

③九州や瀬戸内では5〜6mとも言われる年間の潮の干満差が、伊根湾では50センチ程度と小さいこと。

日経電子版、「舟屋群 水際の景観美 京都・伊根町

「ブリ景気」伝える230軒」より引用

波の穏やかさは、海面が鏡のようになり、立ち並ぶ舟屋の姿を水面に映し出す写真からも伝わってきます。伊根町の美しさはこの地域固有の地形や湾の構造、風を遮る山々など、いくつもの偶然が重なり合って作り出されたものであるのです。

海、舟屋、主屋、山などを含む、地域の景観は2005年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、2013年にはミシュランの観光ガイドで2つ星の評価も得ました。世界各地からの観光客も多く、国内外での評価が観光客の動向にも大きな影響を与えているようです。

舟屋をリノベーションした民宿もあり、夕方でも観光客の姿で賑わっていました。今回の訪問はGW中でしたが、次回は冬、岩牡蠣や寒ブリを食べに、再訪したいと思います。

岩牡蠣の養殖場

参考記事 

日経電子版、2014年1月29日、「舟屋群 水際の景観美 京都・伊根町 「ブリ景気」伝える230軒」