五輪は復興の一区切りではない

東京五輪開催までついに半年を切った。もはや日常生活を送る中で五輪・パラリンピックの関連情報を避けるのは難しい。新聞もテレビも関連ニュースや広告が溢れている。地下鉄に乗れば車内広告やドア上部のモニターに。エンブレムに至ってはあらゆる場面で目につく。コンビニで買った飲み物のラベルに、交換した名刺の中にも…。56年ぶりの夏季五輪開催への高揚感があちこちで高まっているらしい。

安倍晋三首相は20日、国会での施政方針演説で復興五輪を強調していた。聖火ランナーのスタート地点が福島であること。東京電力福島第1原発事故による帰還困難区域が一部解除されたこと。同県浪江町の水素製造施設から供給されたエネルギーが大会関係者の車に使われること。宮城県、岩手県で震災前と比べて外国人観光客が増えたこと。被災地域のいくつかの自治体が五輪・パラリンピックでホストタウンになること。開催場所は主に首都圏でありながらも、東北との関連性を前面に出せば「復興五輪」と言えるらしい。

皮肉を言いたいわけではない。このまま一定の成果を見せた後に、五輪が「復興の一区切り」かのごとく扱われることに危惧を抱いている。

現に東日本大震災と原発事故は現在進行形で続いている。復興庁によると、先月9日時点で震災による避難者は47都道府県の982市区町村に48,633人いる。特に原発事故が起きた福島県の避難者は31,104人と突出している。帰還困難区域がある浜通りの住民は、帰郷を果たせていない。

宮城県石巻市でプレハブ仮設住宅の避難者が全て解消されたのは今月17日のこと。最後まで暮らしていた40代の男性は「仮設暮らしは長くて5年ぐらいと思っていたので精神的なつらさはあった」という。他にも民間住宅を活用したみなし仮設住宅がまだ残っている。五輪の開会式を避難先のテレビから見届ける人は少なくない。

筆者は今も2ヶ月に1回程度、宮城県内の津波被災地域に足を運ぶ。場所によっては今も荒涼とした風景が広がる。五輪の熱気でこの光景が記憶からかき消されないだろうか。杞憂であってほしい。

更地が広がる津波被災地域。2019年12月1日、宮城県石巻市で筆者撮影

参考記事:
25日付日本経済新聞朝刊(東京12版)1面「夏季五輪vs.気候変動 2050年、大都市の6割で開催困難」
21日付朝日新聞(電子版)「首相演説『五輪』を連発 被災地「復興と無理に結びつけてる」」

参考資料:
石巻市「応急仮設住宅入居者数等 仮設団地入居者数」
18日付 河北新報オンラインニュース「プレハブ仮設 震災から8年10ヵ月、最後の世帯が退居 石巻地方1万戸整備」
復興庁 「全国の避難者数」