政府が主催する東日本大震災の追悼式は来年まで。そう検討していると菅官房長官が発表してから数日がたちました。SNSでは「早く終わらせたい気持ち、満々」「記憶の継承を」といったコメントが多かったように思えます。
では被災地はどう受け止めたのでしょうか。NHKでは福島、宮城、岩手3県の知事や市長のコメントが取り上げており、どの県でも政府主催の追悼式とは別に県主催、市主催の追悼式について言及していました。中でも印象的だったのは宮城県の村井知事の言葉です。
政府主催なのでやるかやらないかは政府で決めればよい。追悼式典だけが風化防止の施策ではないので、発生から10年を1つの節目と考えることがあってもいいのではないか
式典は被災者にとって大切なものだが、さらに重要なことは、被災者のケアを継続していくことだ。そういう意味では、政府は先日示した復興の基本方針のとおり、あるいはそれ以上の施策をとってほしい
ハッとしました。世間と被災地では追悼式の目的についての考え方が違うのではないかと。政権批判や風化防止のためではなく、今この時を生きる被災者のことを第一に考えた知事のコメントに当事者意識の差を感じました。地域で差が生じてしまうことは仕方ないことですが、どうやったら被災者に寄り添えるのか、他人事のように片付けないようにするにはどうすればよいのか考えなくてはいけません。
また追悼式が来年までと正式に決まった時には、今よりなお一層、政府は被災者に寄り添う気持ちを持ち続けているのか監視する役割を、私たちが果たさなければなりません。寄り添うというのは『現在』あるいは『過去』の被災者だけでなく『将来』災害が起きた時の被災者も含まれます。
例えば東日本大震災の際、問題になったトイレの衛生状態。停電や断水などで水洗トイレが使えなくなり、便器内はあっという間に排泄物の山になりました。トイレに行きたくない人たちは水を飲まなくなるなど、身体的にも精神的にも負担が大きかったようです。では経験した被災者のために何が出来るのか。
その一つの答えが、移動式「トイレ車」の導入でしょう。昨日の日経新聞夕刊に掲載された「トイレ車」は災害時には太陽光発電で稼働し、被災地のトイレ不足解消に威力を発揮します。またそれだけでなく、防音性や遮熱性に優れており、プライバシー面の対策もしっかりしているようです。ただ全国の100を超える自治体が購入を検討しているとはいえ、実際に入れているのはまだ5自治体。これでは災害が起きた際、被災者に寄り添えそうにありません。
繰り返しますが、追悼式が来年までになったとしても被災者に寄り添っていかなければならないことに変わりはありません。今一度、追悼式の意義を見直し、「寄り添う」とはどういうことなのか考えなくてはなりません。
参考記事:
1月23日日本経済新聞夕刊社会面1「移動式「トイレ車」、災害に備え脚光 防音優れ、太陽光で稼働 自治体100超が導入検討」
参考資料:
NHK「東日本大震災 政府主催の追悼式は来年までで検討 官房長官」
特定非営利活動法人日本トイレ研究所「東日本大震災3.11のトイレ」
みんな元気になるトイレ「トイレトレーラー導入実績」