「誰にも責任はなかった」とは言わせない─脱線事故10年

JR宝塚線の脱線事故から10年。テレビを通じて伝えられた事故現場の様子は、いまでも鮮明に焼き付いています。ひしゃげた車両、大勢の救助隊員、様子を見守る住民。空撮の映像は、当時小学生だった私に強烈なインパクトを与えました。

先月、初めて事故現場へ行きました。自宅から自転車で15分、こんなにも近かったのかと、改めて驚きました。

あれだけの凄惨な大事故が、近所で起きた。

身内が亡くなったわけではありませんが、そう考えると行く気が全く起こりませんでした。しかし10年を経た今、ふと「見ておかなくては」と思い立ち、行動へと移しました。そこには何てことのない光景が広がっていました。帰宅途中の親子や買い物帰りの主婦。事業所前で談笑するサラリーマンの姿もありました。事故の面影といえば、列車衝突の傷跡が残るマンションぐらいのものでした。

事故なんてまるでなかったかのように感じ、体が震えました。しかし、事故を巡る刑事裁判はまだ終わっていません。JR西日本の歴代3社長を無罪とした先月の大阪高裁判決。それを受け検察官役の指定弁護士は6日、同判決を不服とし、最高裁へ上告しました。107名もの死者をだした脱線事故の責任は、いったい誰にあるのでしょう。個人なのか、会社なのか、あるいは誰にもなかったのか。最後の審判が下ることになります。

「検察審査会のあり方」「個人の責任追及の限界」「法人罰の新設」など、様々な論点から議論がなされてきました。しかし、本当に知りたいのは「この脱線事故の責任は誰にあったのか」ということです。個人なら個人、会社なら会社。「誰にも責任はなかった」とは、絶対に言わせません。

 

参考記事:

7日付 朝日新聞朝刊(大阪14版)社会面「JR宝塚線脱線 上告」

同日付 読売新聞朝刊(同版)社会面「指定弁護士が上告」

同日付 日本経済新聞朝刊(同)社会面「尼崎脱線事故で上告」