今年で32回目を迎える「下鴨納涼古本まつり」が今年も開催された。8月11日から16日まで開催される「下鴨納涼古本まつり」では下鴨神社の「糺の森」に約80万冊もの本が並べられ、「糺の森」が「本の海」と化す。
「下鴨納涼古本まつり」に毎年欠かさず訪れている私は、今年も炎天下の中、自転車をこいで、賀茂川と高野川の合流地点にある「糺の森」を訪れた。当日は35度を超える猛暑日でありながらも、ご老人から家族づれ、大学生までの幅広い層が木陰に隠れながら、お目当ての本を探していた。私も彼らと同じくお目当ての本を手に入れるべく、「本の海」に飛び込むことにした。
▲下鴨神社糺の森にて、本を探す人々。13日、筆者撮影。
小一時間ほど経過した頃であろうか。1冊200円、3冊500円のコーナーから一風変わった本が出てきた。『好淫記』という本である。本をめくってみると「まだ初々しい○○○……」など、文の途中で○が突然挿入されていたり、会話文が全て○に置き換えられていたりと、伏字の数が異様に多かった。不思議に思った私は、本の奥付きを見てみると「昭和七年二月 初版発売禁止」と記されていた。なんと、私が手に取ったこの本は一度、発禁処分を食らった「発禁本」なのであった。
▲伏字ばかりの『好淫記』。筆者撮影。
戦前の発禁本といえば、美濃部達吉の『憲法撮要』や森戸辰男の『クロポトキンの社会思想研究』、北一輝の『国体論及び純正社会主義』など天皇を中心とした「国体」に反する(と見なされた)本というイメージが強い。確かに、戦前日本において、「国体」の概念が拡大していくなかで、発禁処分になった本は多い。
しかし、戦前における発禁本は「反国体」本だけではない。性表現のある本も多くが発禁本となったのである。私が出会った『好淫記』もその一つである。しかし、この『好淫記』は発禁という名の弾圧に屈することなく、性表現が記された箇所を伏字に改訂することで、発行にこぎつけたのであった。一度発禁を食らっても、趣向を凝らして発行する、作者と出版社の熱意がこの本からは伝わってきた。
今日、世間では、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」での慰安婦を表現する「平和の少女像」や昭和天皇の肖像を燃やす映像などの是非について論じられている。確かに、戦前戦後を通して、政治に関する事柄が少なからず抑圧されてきたのは事実であろう。しかし、「表現の不自由」と冠した企画展を開催するのであれば、性表現の「不自由」に関する品も展示すべきではなかったであろうか。
『好淫記』のような戦前の性表現の抑圧から、戦後のチャタレー事件、四畳半襖の下張事件など、性に関する「表現の不自由」は数え切れないほど多くある。さらに、最近では、漫画家のろくでなし子氏をめぐる「わいせつ性」が争われた刑事裁判など、性表現の「不自由」は決して過去のものではない。
私は「表現の不自由展」に性表現に関する展示物がないのは、性表現は下等で下品で汚いとレッテルが貼られているからのように思う。確かに、そう思いたくなる気持ちも分からなくもない。しかし、『好淫記』の作者や出版社のような先人たちの努力があってこそ、私たちは「性表現」の自由を「そこそこ」謳歌することができているのである。その事を忘れないためにも、また、「性表現」が完全に自由化されていないこと(良いか悪いかはさておき)を知るためにも、是非、「表現の不自由展」では、性表現に関する品を展示し、再開してほしい、と『好淫記』を読みながら思う次第である。
参考記事:
2017年4月28日付朝日新聞デジタル「ろくでなし子被告の一部無罪が確定 検察が上告せず」
https://www.google.co.jp/amp/s/www.asahi.com/amp/articles/ASK4X55XPK4XUTIL03C.html
12日付京都新聞デジタル版「蝉時雨の森で掘り出し物探し 京都・下鴨神社『古本まつり』」https://s.kyoto-np.jp/top/article/20190812000046
15日付日本経済新聞夕刊3版10面(社会・スポーツ)「愛知県、脅迫メール被害届」
参考文献:
城市郎『続 発禁本』福武書店、1991年
城市郎『性の発禁本』河出書房新社、1993年