いよいよこの日がやってきましたね。我々ひとりひとりの選択によって、今後の日本が変わるかもしれませんし、もしかしたら今までと変わらないかもしれません。どちらの方向に進んでも、それは我々の選択の総意であり、そこに良いも悪いもないと、筆者は考えています。しかし、その選択はしないという選択は良いのでしょうか。
今日は、第47回衆議院議員選挙の投開票日です。これをお読みの皆さんは、もう行きましたか。それともこれからですか、期日前投票や不在者投票をされた方もいらっしゃるかもしれませんね。先日の投稿でも書きましたが、現在の選挙活動は、名前を連呼し、有権者に名前をとりあえず覚えさせようというスタイルの活動が中心となっています。選挙戦略としては正しいでしょうし、当選しなければ元も子もありません。その結果、有権者は各候補の主張を比較できず、誰に入れても同じという印象を持ってしまうのではないでしょうか。しかし、それを言い訳に投票しないということは、結果次第では、自分にとって良い社会出なくともそれを無批判に受け入れざるを得ないということにもなり得るのではないでしょうか。放棄したということは、投票した人に結果を委任したということになりますよね。投票したとしても、不本意な結果に終わることは十分にあり得ますが、投票という何かしらの行動を起こした以上、結果は変えられなくとも、結果を批判することは出来るのではないでしょうか。「大義なき選挙」と言われてはいますが、大義がないから行かないことは、より大義のないことに繋がるのと筆者は考えています。
人によってはこの選挙の意義に疑問を感じているかもしれませんし、なかなか情報収集が難しかったこともあるでしょう。ですが、それを言っていては何も変わりませんよね。とりあえず、まだ行っていない人は投票してみてください。もう済ませてきた方、寒い中お疲れさまでした。ただいま朝の6時30分、筆者もそろそろ、投票のために支度をしようと思います。あらたにすで政治を批評する以上、投票しないと、その資格はないでしょう。
それでは、投票に行ってきます。
参考記事:本日付朝日新聞1,2,3,4,33面・同日付読売新聞1,2,3,4,6,33,39面・同日付日本経済新聞1,2,3,4,35面