今年、妹が成人式を迎えました。赤の華やかな振り袖に身を包みました。昔、二人で紅葉した落ち葉を拾っては、洋服に貼りつけ「ファッションショーごっこ」をして遊んだことをふと思い出します。生意気でおませな女の子も素敵な女性になりました。そんな姿を見るにつけ、突然営業を取りやめた着物販売・レンタル業「はれのひ」の被害にあわれた方の胸中を察して心苦しくなります。「親が喜ぶ」、「なかなか着られるものではないので着てみたい」。思い思いに晴れ着を選んだことと思います。
この事件をきっかけに、1年前から予約をするなど準備がとても大変なのだと知った人もいたのではないでしょうか。友人の男性から「そんなに振り袖は着たいものなの?」と聞かれました。
妹とは対照的に、私は振り袖を着なかったし、前撮りの写真もありません。浪人して大学に入ったため、着物などの準備にかかるお金の面で迷惑をかけたくなかったし、感謝の仕方はほかにもあるはずと遠慮したからです。周りを見渡せば、ほとんどが派手な晴れ姿だろう。そう思い、結局は成人式に出ることをやめました。振り袖でなければ参加できない、という風潮が強まっていると思います。
私は自分の意思で選択をしたわけですが、着たくても着ることができなかった人たちがいます。男性はスーツや袴、女性は振り袖と男女とも服装が決まってしまっているため、自分の望む服装で参加することが難しかったり、経済的事情で用意できなかったりする人もいます。そう思うとより一層、「なぜ着るのか」、「何のため、誰のための成人式なのか」と考えてしまいます。
最近になってようやくその答えがわかりました。LGBT成人式に関わっている知人が「成人式は『成りたい人』になる第一歩を踏み出すきっかけの日だよ」と教えてくれました。自分の望む姿で祝福され、見守ってくれた周りの人に感謝をすればいいのです。
振り袖でなくても大丈夫。おめでとう。そんな成人式がもっとあってもいいのではないでしょうか。
参考記事:
16日付 朝日新聞(東京14版)37面(社会)「「成人式は振り袖で」なぜ定着?」
29面(地域、東京)「笑顔で成人式 もう一度 有志主催」