昨日は地元で開催されたクロスカントリーに参加しました。アップダウンの続く2kmのコースを3周する計6km。膝を痛めていた筆者には長い道のりでした。途中、リタイアが頭をよぎりましたが、思いとどまりました。それは、あたたかいうどんが待っていたからです。参加者には食券が配られます。寒い中、完走し疲れ切った身体でおいしいうどんを食べたい。その一心で走りました。
33分35秒、104人中70位でゴール。早速、うどんをもらいに行くと、長蛇の列。無料のうどんを求め、みなが並んでいます。もっと順位が上ならこんなに並ばなくても済んだのに。悔やみながらも、午後から用事があったため、諦めて家に帰りました。
10日の読売新聞の朝刊には、「世の中には『無料』があふれている。なぜ、無料にしているのか、業者の狙いは何かなど、その裏側にも気を付けないといけない」と負の一面を伝えています。
また、同じく10日の朝日新聞の読者の声には、「『送料無料』の文字を目にした配達員さんたちに、『自分たちの仕事はタダ』と感じさせてしまうことになる」とあります。「無料」には人に対してそう思わせてしまうことがあるのか、これまでなかった視点でした。
冒頭のエピソードでは、業者による思惑も、誰かを傷つけることもありません。しかし、無料のものには人が集まり、自分の時間を費やしてしまうという経験をしました。無料というだけで食いついてはいけないのです。
もちろん悪いことばかりではありません。筆者の地域で開かれる子ども食堂は無料で昼食が振舞われます。調理や受付などはボランティア。食材のほとんども寄付。子どもたちにおいしいご飯をたのしい場所で食べてほしいという多くのひとの優しい「思い」があふれています。
時々によって変わる「無料」の評価。その度に、なぜ無料なのか、誰のおかげで、誰の負担で無料なのか考えなければなりません。
今月3日にはハーフマラソン大会に参加しました。実はその時に膝を痛めました。完走した後に訪ねたのは、特設の「無料」マッサージ。やはり、無料には引き寄せられます。
参考記事
10日付 朝日新聞 12版 8面 「『送料無料』は配達員に失礼」
同日付 読売新聞 12版 17面 「『無料』の裏には」