米国の悪夢

 昨日の夕方、用事の合間にスマートフォンでネットサーフィンをしていたら、ある見出しに目が留まりました。「ラスベガス乱射 死傷者多数の模様」。またか、最近テロの話題が多いなあ。その時の私は「テロ」というものを身近に感じることなく、ぼんやりと遠い国の出来事であるような気がしていました。 

私が恐怖を感じたのは用事を終え、帰宅してから。パソコンをつけるとそこにはスマートフォンで撮影されたコンサート会場の様子が映っていました。初めは男性シンガーの歌に盛り上がる観客という、ありふれたシーンから始まっています。すると突如「パパパパパパン」という映画やドラマでしか聞いたことのない乾いた音声が聞こえてきました。そして、音楽がやみ、ステージが真っ暗に。何が起きたかわからない観客。そして再び銃声。悲鳴。逃げ惑う人々・・・。そこには今回のテロで起きた事実そのままが記録されていました。

記事を読んでいて恐ろしかったのは、ラスベガスは治安がいいことで知られている場所であったということです。テロはどこでも起こりうる、当たり前だけれど残酷な事実を突きつけられました。「日本にいるから大丈夫」。心のどこかで思い込んでいるかもしれませんが、決してそんなことはありません。テロはいつ、どこにいても起こりうるものなのです。

まだ、犯人の動機はわかっていません。犯人は何を考え、感じてこのような事件を起こしたのでしょうか。

テロで亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

 

参考記事

3日付読売新聞朝刊(京都14版)1面「ラスベガス乱射58人死亡」、33面(社会)「銃弾の雨 10分間」

同日付朝日新聞朝刊(京都14版)1面「ラスベガス乱射58人死亡」、31面(社会)「銃声に悲鳴「頭下げろ」」

 

同日付日本経済新聞朝刊(京都14版)1面「米銃乱射58人死亡」、9面(国際2)「米史上最悪 進まぬ銃規制」、39面(社会)「高層階から銃弾の雨」