広島の平和記念資料館に小学生の時、修学旅行で訪れました。小学生だった私は、展示の一部である、原子爆弾による熱線で火傷を負った被爆者の姿を再現した人形を、“怖い”と感じました。しかし同時に、原爆の恐ろしさや当時の状況についてリアリティをもって知る事が出来たと思っています。
朝日新聞の12面(国際)に、第一次世界大戦から100年経ったベルギーのイーペルで、遺骨収集に努めるパトリック・バンワンゼールさん(67)の記事が掲載されています。40年程前に、第一次世界大戦の前線にはまだ、遺骨や遺品が多く埋まっていることを知り、収集を始めたといいます。毒ガス弾の影響で、顔が腫れ、40度以上の熱が出ることもありました。それでも、「死ぬまでやめられない。誰かが見つけてやらないと、兵士がかわいそう」だと語っています。
収集だけでなく、見学に来た小学生などに戦争について教える事業も行っているそうです。「戦争はむごい。英雄なんていないんだよ」とパトリックさんは言っています。
私が“怖い”と感じた人形群が、撤去されるかもしれません。広島市のホームページには、展示の継続を望む声に対する回答が掲載されています。
凄惨な被爆の惨状を伝える資料については基本的にありのままで見ていただくべきという方針の下、この度被爆再現人形を撤去することとしたものであり、見た目が恐ろしい、怖いなどの残虐な印象を与えることなどを懸念して撤去するものではありません。(中略)被爆再現人形は、非常に印象に残り、当時の情景を伝えているという展示だというご意見があります。しかし、一方で被爆者の方は、無残な遺体がたくさんあり、男女の区別さえつかず、親子でさえ見分けることができない情景を体験されています。そうした状況からは、被爆再現人形に対して「原爆被害の凄惨な情景はこんなものではなかった。もっと悲惨だった」といったご意見もあります。展示をご覧になられる方の見方によっては、原爆被害の実態を実際よりも軽く受け止められかねません。来館された全ての方々に悲惨な被爆の実相を現実に起こった事実として受け止めていただき、こうした惨劇を今後二度と繰り返してはならないという思いを心に刻んでいただきたいと考えており、そのためにも誰が観覧しても個々人の主観や価値観に左右されない実物資料の展示が重要と考えております。
広島市の平和記念資料館に行かれたことがある方、人形の撤去に賛成ですか?反対ですか?被爆から69年。私達は次世代に、被災や被爆をどう伝えていくべきなのでしょうか?被爆者や語り部さんが高齢化する昨今で、次世代だった私達は、さらに先の世代になにを伝える事が出来るでしょうか?また、なにか伝えることが出来るのでしょうか?みなさんのコメントをお待ちしています。