アメリカと中国、ロシアのそれぞれが妥協しあった結果、北朝鮮への制裁決議が国連安全保障理事会で採択されました。内容としては以前と比べて一進一退なところがありますが、評価する声も高まっています。
これまでの制裁決議があまり有効ではなかったうえ、米中ロ間の摩擦が今も増えている中で、北朝鮮が核技術やミサイルの実用度を着々と向上させている現実が存在しています。それらの現実と「どう向き合うか」が、日本の優先的な課題ではないでしょうか。
19世紀ドイツの歴史学者レオポルト・フォン・ランケは、「国家が他国との間の生存競争に晒されていることから安全保障政策を生存確保のために重視するべきだ」と指摘しており、いわゆる「Primacy of Foreign Policy」の原則を指しています。この原則は、国際社会の環境は常に流動的であり、それに対応するために国内政策も変える必要が出てくるということを意味しています。
現状の安全保障面での日本の対応は成熟したものではありません。「敵基地反撃能力」の議論や「自衛隊」を巡る論争のように内向き過ぎるものであったり、実戦的では無かったり。机上の空論のような議論が目に付きます。こういった状況は、「現状をちゃんと見ていない」か「何とかなるだろう」という楽観的な考えが日本全体にあるからではないかと思います。
戦略家のエドワード・ルトワックは著書「戦争にチャンスを与えよ」の中で、当事者たちが「まぁ大丈夫だろう」(it will be all right)と思っていることが戦争を招くと指摘しています。
第一次世界大戦のきっかけとなるサラエボ事件の例を挙げたいと思います。過去にバルカン危機を乗り越えたこともあり、イギリスの外相エドワード・グレンは事件後、元々予定されていたバカンスに行ってしまいました。しかし、事件は予測されていたよりも深刻な事態に発展し、ついには世界大戦を引き起こしました。
ルトワックは、日本が「まぁ大丈夫だろう」という選択肢を取っていることが、結果として最悪のシナリオを作りえないと言っています。歴史をみてもそれを真っ向から否定することは出来ないでしょう。
本格的に北朝鮮問題を考えるのに「日本の安全保障政策をどうするのか」という重要なことを議論せざるを得ない時期が来ています。アメリカが守ってくれる、中国がどうにかしてくれるではなく、タブーなしで自分達がどう行動するかを考える。それこそが北朝鮮問題解決の大きな糸口になるのではないでしょうか。
4日付 朝日新聞朝刊(東京14版)1面(総合)「米から想定外の警告」
同日付 朝日新聞朝刊(東京14版)3面(総合3)「米中妥協の北朝鮮制裁」