先日、鳥取県倉吉市にある祖父母の家に遊びに行った際、近所に動物保護施設があると聞き、訪れました。「人と動物の未来センター アミティエ」という施設です。地元で動物病院を開いている先生が理事をなさっており、東日本大震災の被災ペットや、市内の保健所に引き取られた犬猫の保護を行っています。獣医が関わる施設なので、保護された犬猫は適切な治療を受け、健康的な状態で新たな飼い主を待つことができるのです。
施設は、公益財団法人動物臨床医学研究所の資金とサポーターによる支援で運営されており、全国の獣医師や企業、個人が寄付を送っています。運営に携わる方々の「殺処分される動物を減らしたい」という思いの強さに深い感銘を受けました。しかし、引き取ることのできる動物の数は限られており、たくさんの犬猫が毎年命を落としています。施設の規模や運営費などに限界があるためです。
17日の読売新聞では、保護猫の譲渡先が決まるまでの間、一時的に動物を預かるボランティアが紹介されています。年齢などからペットを長期的に飼えなかった人たちが主なターゲットです。ボランティアの家で暮らすうち、人に慣れて譲渡しやすくなる場合も考えられます。
これに加えて、以前あらたにすでも紹介した、「地域猫活動」も全国に広がっています。筆者の暮らす京都市では、決められたやり方で猫の管理を行う場合、市の認可を受け、助成金ももらえる条例が施行されました。また、筆者の携わる「大学猫活動」は、学内で猫の世話を行うものですが、この活動を行うサークルは毎年、各地に誕生しています。
しかし、活動が広がったからといって、世話に対する世間の理解が増した、というわけではありません。「意味がない愛護活動」として、地域猫活動を「愛誤」と揶揄する人もいます。大学での活動中に、みんなで置いたえさを教員のひとりに捨てられたこともありました。大学は学生の活動に関与しないのですが、その先生の気分を害してしまったようでした。活動時に置いたえさはゴミにならないように後で回収すると伝えても、「大学は動物園じゃない」と一喝されました。
そうした人びとにとって、動物の問題は自分に関係のない問題なのでしょう。勝手に猫が増え、飢えて死んでも、自分の知ったことではない、という考えの方は多いように感じます。しかし、現在の野良猫の大半が、人間が安易に飼い始めて放棄した猫や、その猫から生まれた子どもや孫たちだといわれています。野良猫の問題は、人間の勝手な振る舞いが生み出したものなのです。自分には関係ない話ではありません。
すべての人が動物愛護の精神をもつことは現実的には難しいのだろうと思います。しかし、一人でも多くが、動物の問題を自身の問題としてとらえることができたなら、野良猫を取り巻く環境は変わるのではないでしょうか。
参考:17日付け 読売新聞朝刊 「保護の犬・猫 一時預かり主」