氷漬けにされた魚の上を滑るスケートリンク。北九州市のテーマパーク・スペースワールドでのスケートリンクの企画が、「残酷」「命を粗末にするものではない」と、批判の的になっています。一方、毎年2月に札幌で行われる「さっぽろ雪まつり」では魚の入った氷の彫刻が10年以上人気を集めているようです。
同じ「魚の氷漬け」の展示だというのに、世間の評価は対照的です。いったいこの違いはどこから来るのでしょうか。朝日新聞朝刊では、「さっぽろ雪まつり」で魚の入った彫刻を展示しているすすきの観光協会の担当者が次のように述べています。
「うちは北海道の魚を楽しんで見てもらうのが趣旨。スケートリンクの下に敷くのとは目的が違う」
また、鹿児島大学の総合研究博物館長は、スペースワールドの企画について、「死んだ魚の上を滑るという冒涜的な行為に多くの人が違和感を感じたのだろう」と話します。
しかし、スペースワールドの企画だけが「残酷」「命を粗末にしている」というのは少々おかしな論理ではありませんか。確かに、死んだ生き物の上を滑ることはその生き物を「踏む」行為に繋がり、「冒涜的」と感じるのも頷けます。けれども、雪まつりの展示とスケートリンクとは「趣旨が違う」とはいえ、氷に漬ける製作過程は変わりません。死んだ生物の上を滑ることも、見て楽しむことも、突き詰めてしまえば人間の娯楽です。魚たちは、人間の娯楽のために死後氷漬けにされ、見世物にされているのです。このこと自体に残酷さはないというのでしょうか。
生物の命に敏感になるのは非常に良いことです。しかし、魚の入った氷の彫刻が批判も評価もされていないならまだしも、人気を博しているとあっては疑念が生じます。少し落差が大きすぎはしませんか。
何も、生物を展示するな、見て楽しむなと言いたいわけではありません。鑑賞することで学べることもあるでしょうし、学術的研究のために展示されるならば有意義とも言えましょう。しかし、それらはすべて人間の利益のために払われている犠牲なのであって、必ずしも正当化できるとは言えないのではないでしょうか。
我々は、生き物の命を扱う際、あるいはそれを享受する際、どのような目的であってもその命が「使われている」ということを忘れてはいけません。しっかりと意識することを怠ってはならないはずです。
参考:29日付 朝日新聞朝刊 「動物展示、批判と人気 分かれ目は?」