この夏、「死刑基準」というドラマを見ました。死刑制度反対派の弁護士が家族を殺されて、死刑制度推進派に覆る様子が描かれています。作品を見ながら、死刑制度についての思いが二転三転してしまいます。被害者遺族を思うのか、それとも加害者を思うのか、また作中には登場しませんが裁判員を思うのかで意見が変わってしまいます。
今日の朝日新聞の記事に
198ヶ国・地域のうち140ヵ国が(死刑制度を)廃止・停止している先進国で続けているのは米国と日本だけ。
とありました。この事実に驚きが隠せません。世界に目を受けると死刑は否定的な制度になっているのです。
世界の基準だからといって「死刑は廃止しなければならない」とは思いませんが、冒頭述べたように死刑制度によって苦しむ人がいることも事実です。今年は静岡県で起きた袴田事件から50年の節目の年でもあります。袴田さんは1980年に死刑が確定しましたが、2014年に再審開始と死刑及び拘置の執行停止が決定しました。長い間の拘禁の影響で今も健康状態は完全ではないようです。決してあってはいけない冤罪。ただ、それが防ぎきれないのが現実です。もし、無罪の人に死刑が執行されるかもしれないと思うと恐怖でしかありません。
本当の意味で「死刑」という制度がどういうものなのかはその立場にならないと分からないかもしれません。それでも真剣に考えなければいけない気がしました。
もし加害者、被害者の遺族、裁判員、冤罪を掛けられた人になった時、あなたは死刑を受け止められますか。
7日付 朝日新聞 13版 2面 『「死刑廃止宣言」を弁護士団体が出したな』