ダイガクセイはアンドロイドの夢を見るか?

9月5日、秋口にもかかわらず灼熱の日差しが降り注ぐ中、万博会場内を彷徨っていると水音が聞こえてきました。噴水でもあるのかと、涼みたさに向かった先でとある建物に出会いました。それは、近未来を彷彿とさせる黒光りした四角い箱、「いのちの未来」パビリオンでした。

まず目を見張ったのは、外壁に途切れることなく水が流れ続けていたことです。鋭いデザイン性を誇る建物が所狭しと並び、現代アート見本市の様相を呈する万博敷地内でも、一層アーティスティックなその外観を持つパビリオンに強い興味を抱きました。

いのちの未来館(2025年9月5日、筆者撮影、一部加工済み)

「いのちの未来」は万博テーマ事業の起点となった8人のプロデューサーが手がけるシグネチャーパビリオンの一つで、ロボット工学の第一人者である石黒浩さんが担当されています。

建築・展示空間ディレクターとして携わった遠藤治郎さんはインタビュー記事の中で、今回のパビリオンのコンセプトは「人間のいのちは無機物から生まれ、有機物、タンパク質と進化を遂げて、また無機物へ向かう」という石黒さんのテーマと、「渚=個体・液体・気体という異なる物質の状態が交わる境界、生命誕生の場である」という遠藤さんのテーマが融合し誕生したと語っています。

パビリオン外観のミニマルな形は、生命誕生の要素としての鉱物、エネルギー、重力、水をイメージして構想されたもので、そこに重力で落ちる水が合わさることで無機物と有機物の交わりが表現されたものだったのです。

運よく取れた当日予約を携え入場してみると、まず手渡されたのは骨伝導イヤホン付きのタブレットでした。初めての音響感覚に戸惑いつつも、ツアーに従って展示を見ていく中で徐々にその世界観に引き込まれていきました。

三本仕立てのうち最初のZONE1は、縄文の土偶や仏像、人形が並ぶ部屋。
人間が古来より、モノに人形として生命を吹き込んできた流れの最先端にアンドロイドがあることを表した導入部が非常に印象的でした。

ZONE2では、「50年後の未来」を舞台にした一人の少女とそのおばあちゃんのストーリーが展開します。映像作品で追っていく構成。電車の車窓に見立てた画面に映るSFチックな街並みに始まり、家からの眺めを自由自在に操作するシーンでは、憧れと共に時間的・距離的な感覚が今以上に薄れていくことへの一抹の不安を覚えました。

物語の終盤では、余命が短いおばあちゃんが、記憶をアンドロイドに移すか生物として自然に亡くなるかの選択を迫られる場面があり、自分だったらどうするのかと考えずにはいられませんでした。

ZONE2にて、ニンゲンの写真を見て身じろぎをするアンドロイド(2025年9月5日、筆者撮影、一部加工済み)

ZONE2にて、マツコ・デラックス・アンドロイドと会話に興じるアンドロイド(2025年9月5日、筆者撮影、一部加工済み)

パビリオン外観のミニマルな形は、生命誕生の要素としての鉱物、エネルギー、重力、水をイメージして構想されたもので、そこに重力で落ちる水が合わさることで無機物と有機物の交わりが表現されたものだったのです。

運よく取れた当日予約を携え入場してみると、まず手渡されたのは骨伝導イヤホン付きのタブレットでした。初めての音響感覚に戸惑いつつも、ツアーに従って展示を見ていく中で徐々にその世界観に引き込まれていきました。

三本仕立てのうち最初のZONE1は、縄文の土偶や仏像、人形が並ぶ部屋。
人間が古来より、モノに人形として生命を吹き込んできた流れの最先端にアンドロイドがあることを表した導入部が非常に印象的でした。

ZONE2では、「50年後の未来」を舞台にした一人の少女とそのおばあちゃんのストーリーが展開します。映像作品で追っていく構成。電車の車窓に見立てた画面に映るSFチックな街並みに始まり、家からの眺めを自由自在に操作するシーンでは、憧れと共に時間的・距離的な感覚が今以上に薄れていくことへの一抹の不安を覚えました。

物語の終盤では、余命が短いおばあちゃんが、記憶をアンドロイドに移すか生物として自然に亡くなるかの選択を迫られる場面があり、自分だったらどうするのかと考えずにはいられませんでした。

ZONE3「1000年後の未来“まほろば”」では、幻想的な光が降り注ぐ空間と神秘的な音、そして3体のアンドロイドが調和した光景を見ることができました。ZONE3の総合演出を担当された金子繁孝さんのインタビュー記事によれば、「アンドロイドと心が通じ合えるような体験」を得られるように設計された展示だったそう。しかし、実際に私が感じたのは全く逆のことでした。

幾何学模様のレースに包まれたアンドロイドが光と音に合わせてゆらゆらと動く様子は、私が想像する生命からはあまりにもかけ離れており、一種の畏怖の念すら抱きました。将来、アンドロイドが生活に当たり前に存在する時代が訪れたとして、人間はそれらと心を通わせることができるのか──簡単には納得しきれない感覚が残りました。

「いのちの未来」パビリオンを楽しむ中で浮かび上がってくるのは、「人間とは何か」という根源的な問いです。

記憶をアンドロイドに移すかどうかの選択、あるいはアンドロイドと心を通わせられるのかという違和感……。一連の展示は私たち一人一人にこの先の未来とそこでの選択を問い掛けてくるものでした。やがて、人間の概念は生物的な存在を超えて拡張し、無機物との境界が曖昧になる未来へ向かうのかもしれません。

 

参考記事

2025年8月6日, 日本経済新聞「大阪万博いのちの未来館、石黒浩教授がアンドロイドとの共生社会示す」

参考資料

FUTURE OF LIFE いのちの未来 公式サイト