韓国で2024年12月、非常戒厳令が宣布されました。3日午後10時23分頃から4日午前4時30分までの約6時間の出来事で、国会前には大勢の人が集まり、戒厳令の解除を求める行動が広がりました。
45年前の1980年にも、韓国で戒厳令が発令されました。「漢江の奇跡」と言われたほど、朝鮮戦争後に急速な経済発展を遂げましたが、この年には市民が民主化を求める光州事件が起こりました。5月18日から10日間ほど続いた衝突は学生を含めた240人以上の死傷者を出し、朝鮮戦争以降、初めての戒厳令が発令されました。戒厳令とは国が非常事態に陥った際に、公共の秩序を守るために行政や司法を軍の支配下に置き、国民の権利を大きく制限するものです。
87年6月29日、直接選挙制などを求めて続けられた民主化運動は大きな成果を伴って終結します。当時の与党、民主正義党の盧泰愚(ノ・テウ)代表委員が「国民の大団結と偉大な国家への前進のための特別宣言(民主化宣言)」を発表。これを元に、憲法が改正され、現代の韓国に繫がる政治制度が誕生しました。
韓国での民主化運動についてはソウル特別市龍山にある民主化運動記念館で学ぶことができます。70年代から80年代にかけての軍事独裁政権に抵抗した人々は旧南営洞対共分室で拷問を受けていたといいます。この場所には韓国民主化のきっかけにつながるソウル大学生朴鍾哲(パク・ジョンチョル)氏が拷問を受けていた部屋も残されています。朴氏は学生運動をしていました。
身体を板に固定させる道具やバット、角材、やかん、バケツまで、拷問に使われていた多くの機材が展示されていました。5階には拷問が行われていた調査室があります。ドアの上部に建物の階数はなく部屋番号だけが書かれています。場所も知らされないまま拷問が続いていたことが伺えます。室内には浴槽、洋式トイレ、洗面台があり、細い窓からは微かに光が差し込んでいました。現在は15室しかありませんが、建設当時は18室だったそうです。
最も激しい対立は87年6月に勃発した民主化抗争です。当時与党だった民主正義党の大統領候補を決定する10日の全党大会の日に合わせて始まりました。しかし、前日の6月9日に延世大学正門で行われたデモでは機動隊は催涙弾を水平発射しており、同大学の李韓烈(イ・ハニョル)氏が機動隊の発射した催涙弾を後頭部に受けて亡くなってしまう悲劇も起こりました。
ソウル特別市内にある新村駅近くには李韓烈記念館があり、ここにはデモが行われていた当時の服が展示されています。服には血がついた跡があり、武力で弾圧される恐怖を肌で感じました。現地に足を運び実際に訪れてみないと分からないことが数多くあると痛感しました。
幾多の犠牲を出して民主化にたどり着いた韓国。今年6月には新大統領に李在明(イ・ジェミョン)氏が就任しました。李大統領は混乱した国の立て直しと経済成長を表明しており、今後の韓国の情勢に注目したいです。
参考文献:
日経電子版 2025年5月18日付 韓国戒厳下の市民犠牲「光州事件」から45年 「今こそ連帯精神必要」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM166ZS0W5A510C2000000/