過去に発生した大規模な洪水 先人の防災対策を学ぶ

後に江戸幕府を開く徳川家康は1594年から利根川の東遷事業を始めました。この事業には、江戸を水害から守るだけでなく、新田開発の推進、東北地方との輸送形態の確立、防備と多くの狙いが込められていました。東京湾につながっていた流れを太平洋に注がれるように工事が進められ、約60年にわたる大規模なものとなりました。台風などが心配されるこの季節に先人の水害対策や江戸時代の3大水害について考えていきます。

 

利根川は日本で最も流域面積が広い川として知られています。群馬県の大水上山を水源として関東地方の茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都と関東1都5県を流れ、千葉県銚子市で太平洋に注がれる総延長322キロメートルの大河です。そんな日本を代表する河川は、過去に度々、大規模な氾濫を起こしています。

利根川の様子(8月6日、筆者撮影)

 

1742年に発生した寛保2年江戸洪水では利根川が氾濫し関東一帯が浸水しました。この洪水は1843年に編纂された徳川実紀にくわしく記されています。記録には「関東の国々あまた所出水し、浅間山崩れ、松代、小諸、忍、河越、古河、関宿の城みな大破しぬ」と書かれているように一体に大きな被害をもたらしました。この洪水による死者は3900人以上に上りました。

次に1786年に起こった天明6年の洪水があります。この洪水では日頃は水害が少なかった江戸の牛込や四谷辺まで被害を受けました。これには83年に起こった浅間山の噴火が関係しています。噴火の影響により利根川の支流である吾妻川に火砕流が流れ込みました。この土砂が下流にある利根川の本流に流れ、河床の上昇につながりました。これが3年後の洪水の原因ともいわれています。

1846年に発生した弘化3年の洪水も関東地方を水浸しにしました。6月から7月に断続的に降り続いた大雨によって、利根川などの堤防が決壊し大規模な水害となりました。この洪水で米などの収穫量が減少し、被災して困窮している人々を救済するための救米が支給されています。

 

これまで水害を防ぐためにさまざまな対策が行われてきました。まず、積み土嚢(つみどのう)や月の輪と呼ばれるものがあります。積み土嚢は堤防から水が超えそうになった場合に堤防の上に土嚢を積み上げるという分かりやすい方法です。月の輪は堤防の裏側から漏水してしまった場合に効果があります。水が噴出した箇所の周りに土嚢を積み重ねます。積み上げられた土嚢の中で河川との水位差を縮めて水の圧力を弱め、堤防の決壊を未然に防ぐという仕組みです。

他には木流しという方法も活用されていました。これは多くの枝がついた木を堤防とひも付けて川に流すことで、川の流れを妨げて堤防が削られることを防ぐ効果があります。しかし、洪水が発生して母屋が浸水してしまった場合には水塚に避難します。水塚とは母屋よりも高く盛土を施した上に建てられた建物になります。

 

8月には国土交通省により川の氾濫リスクを事前に予測するシステムの開発が始まりました。これはAIを活用し、流域ごとの雨量や浸水範囲を推定するものです。国交省のホームページからはハザードマップを確認することができ、住所を検索することでその土地の災害のリスクなどを調べることができます。それぞれの地域の特徴を理解し対策を講じることが水の被害を減少させるうえで不可欠です。先人の水との戦いをしのびながら、私たちも水害への備えを固めたいものです。

 

参考文献:

読売新聞オンライン 2025年8月4日付 河川氾濫リスクを半日前に予測できるシステム開発へ…九州で有効性を検証、住民の早期避難などに期待

https://www.yomiuri.co.jp/local/kyushu/news/20250804-OYTNT50010/

 

参考資料:

国土交通省 洪水浸水想定区域図・洪水ハザードマップ

https://www.mlit.go.jp/river/bousai/main/saigai/tisiki/syozaiti/

国立国会図書館 デジタルコレクション 徳川実紀 第6編

https://dl.ndl.go.jp/pid/772970

国土交通省 関東地方整備局 利根川上流河川事務所

https://www.ktr.mlit.go.jp/tonejo/index.html