日本での5年間の修行を終えた真美さんは、1997年、のちに夫となるガテラさんとともにルワンダで義肢製作所を立ち上げます。
渡航前、真美さんの頭にこびりついていたのは、大虐殺で犠牲になった人々の遺体が山積みにされている映像でした。「現地はいまだに混乱の最中なのでは」—そんな不安を胸にルワンダへ降り立った真美さん。ところが現地で最初に目にしたのは、想像とは異なる光景でした。人々は当たり前のように仕事へ向かい、市場には日用品が並んでいました。かつてテレビで見たあの衝撃的な映像とはまるで違う日常の風景に驚かされ、拍子抜けするような思いだったといいます。
しかし、ガテラさんに連れられて町はずれの教会を訪れたとき、その印象は一変します。中に入ると、大虐殺で犠牲になった人々の遺体が放置され、凄まじい腐臭が漂っていました。街に出ると、虐殺のなか斧によって手足を切断された人、病気や地雷によって身体の一部を失った人々が溢れていました。真美さんは生々しい現実に直面しました。
「この国の復興には、彼らの手足が必要だ」
ガテラさんの言葉をきっかけに、ルワンダでの義肢製作が本格的に始まりました。
ひとつの義肢ができるまで
義肢製作所には日々、患者さんが次々と訪れます。義肢作りは、まず話を聞くところから始まります。障害を負った経緯や現在の生活状況など、患者さん一人ひとりの言葉に耳を傾け、どのような義肢をつくるかを決めていきます。
「無料でもらえるから」と軽い気持ちで製作所にやって来る人もいれば、「家族を支えるため」と真剣な思いで訪れる人もいます。真美さんはヒアリングの際、そうした患者さんの本心を慎重に見極めています。
「本当に必要としている人は、話す内容が具体的なんです。たとえば、自分が家族をどう支えたいか、子どもの生活はどうか、そういったことを自然に話してくれますね」
聞き取りを終えると、真美さんは患者さんにあることをお願いします。それは義肢製作のための政府からの補助金を申請する手紙を、患者さん自らの手で役所まで持っていってもらうことです。行政に予算がないことは真美さんも承知しています。実際、申請のほとんどは却下されてしまうそうです。それでもこの手順を設けている理由は、補助金を得るためではありません。
製作所を訪れる患者さんの大半は経済的に困窮しているため、真美さんたちは義肢を基本的に無償で提供しています。しかし、患者さん自らが役所に足を運ぶという行動を通じて、「自分が義肢を本当に必要としているのか」を問い直してもらいたい、そして、多くの人が義肢を必要としている事実を政府に示したい。そう真美さんは考えています。ふたたび製作所に患者さんが戻ると、真美さんは改めて話を聞きます。そこで必要だと判断すれば、政府からの補助金を待たずに製作を開始します。
まず患部を石膏包帯で型取りし、それを元に部品をひとつひとつ手作業で組み上げます。そうして少しずつ形を帯びてきた段階でふたたび患者さんに来てもらい、装着の状態を確かめます。フィッティングや歩行の練習を経て細かな調整を重ねた後、肌の色に合わせて塗装を施し、ようやく義肢が完成します。
「義肢を作るうえで最も気を配っているのは、仕上げの『見た目』です」と真美さんは話します。
「義肢作りを始めた当初は、出来上がった義肢を見た患者さんから『格好悪い』と不満を言われて腹が立つこともありました。でも、自分だって好みに合わないものを渡されたら満足しない、と気づいてからは、仕上がりの細部にまで気を配るようになりました」
完成した義肢を手渡すとき、患者さんの表情には喜びや希望が浮かびます。その姿を見ると、真美さん自身も嬉しさを感じずにはいられないといいます。その一方で、受け取ったすべての人が、必ずしも期待通りの未来を歩むわけではないという現実も見てきました。
「(予算に限りがあるので)本当に必要としている人に義肢を渡すようにしていますが、それでも思うようにいかないことはあります」
「はじめは自分の夢や希望を真剣に語ってくれた人が、義肢を渡したあとも酒に溺れた生活を続け、家族を支えようとしない。あるいは、『お金を恵んでもらえないから』と、作った義肢を使わずに物乞いをしている人もいます」
こうした状況に直面した真美さんは、「患者さんにはそれぞれ事情があり、義肢を渡したからといって必ずしも喜んでもらえるとは限らないことを知った」と語ります。
「すごいこと」はしていない
活動資金の調達のため、真美さんとガテラさんは夏になると日本に戻り、全国各地で講演しています。話を聞いた人たちからさまざまな感想が寄せられますが、なかでも大学で、学生からよく聞く言葉があると真美さんは話します。
「講演後、『私にはできないかもしれませんが…』と前置きをつけて感想をくれる学生がいます。その言葉を聞くたびに、私は『もったいない』と思います。学生はこれから何にでも挑戦できる立場なのに、なぜ最初から自分にバリアを張ってしまうのか。失敗しても軌道修正できる年齢なんですから」
「年を取ったらそれは難しいですけどね」と真美さんは笑います。
また、義足を届ける活動を「すごいこと」として讃えられることにも、真美さんにとっては違和感があるといいます。
「『すごいことをしていますね』と褒められることがありますが、私はただ自分にできることをしているだけです。働く環境がちょっと違うだけで、特別なことをしている意識はありません。だから私たちの活動を賞賛するよりも、まずルワンダという国やその背景を知ってほしい。それが私たちの願いです」
「ルワンダでの経験は、日本では決して得られなかったものです。義肢を作ることを通して、私はいろんなことを教わりました」―インタビューの最後、真美さんはそう語ってくれました。
「みなさんもルワンダという国を知ってください。大虐殺という痛ましい過去を経験しました。でもこうした争いは、遠い国の出来事ではありません。今この瞬間にも、世界のどこかで似たようなことが起きている。そのことを忘れないでほしいです」
参考資料:
読売新聞オンライン 2018年度(第25回)ルワンダで義肢を無償製作・提供 ムリンディ/ジャパン・ワンラブ・プロジェクト代表 ルダシングワ真美氏
ムリンディ・ジャパン ワンラブ・プロジェクト ワンラブ・プロジェクトの歩み
シチズン時計株式会社 ルダシングワ 真美さん
Web eclat 【これが私の活きる道】ルワンダで義肢の無償提供を始めて26年。ルダシングワ真美さんの生き方とは?
東京都人権啓発センター 思いは「一人の人のため」
長岡市米百俵財団 ルダシングワ 真美