歴史を越え、未来へ繋ぐ希望の地区

ウトロの歴史

京都府宇治市のウトロ地区は、第二次世界大戦中に日本へ渡ってきた朝鮮半島出身の人々が、終戦後の混乱期に帰国できないまま暮らし続けた場所です。当時から「在日朝鮮人のスラム」として差別され、下水などの生活インフラも不十分な状況でした。さらに住民の知らないところで土地が転売され、強制退去の危機に直面しましたが、ウトロに住む朝鮮人の方々だけでなく、地元日本人支援者も立ち上がり、声を上げ続けました。2007年には韓国政府の支援も得て土地の一部を買い取る合意がなされ、強制退去の危機を免れることができました。今回はそんなウトロにある「ウトロ平和祈念館」の個人ツアーに参加し、副館長の方に話を聞いてみました。

今回取材に応じてくださったウトロ平和祈念館の金秀煥副館長は、このミュージアムについて「差別や反日の問題を訴えるために設立されたわけではなく、困難な状況の中でも生きることを諦めずに声を上げ続けてきた人たちの姿を伝えたいという思いから設立した」と語ります。当初の年間来場者目標は3,000人でしたが、1周年時には1万3,000人、3周年時には3万人を達成。この数字は、ウトロの問題、そして在日コリアンの問題が、私たち日本人にとっても決して無関係ではないことを示しています。

日本と韓国の交流の場としても

ミュージアム前の広場にはバスケットコートがあり、地元の小中学生がバスケを楽しむ姿が見られます。以前、韓国の中学生約100名が研修で訪れた際には、日韓の生徒が入り混じってバスケットボールの試合が開催されました。ここでは日本が得点した際に韓国の生徒からも歓声が上がります。「日韓戦」と聞くと、マナーの悪さや対立に焦点が当たりがちですが、ここではスポーツを通じて国境を越えた交流が実現していました。スポーツを通じて煽りあい、罵倒するのではなく、韓国は「良きライバル」としてこれからも互いに高めあう存在であるべきではないでしょうか。

メディアに求める「前向きな発信」

金副館長は、メディアの報道姿勢について「差別やヘイトクライムといったネガティブな側面ばかりを報道するのではなく、現地の笑顔や、差別を乗り越えた経験、生きてきた意味を前向きに伝えてほしい。人権は人間が守っていくものであり、メディアの商品になってはならない。世間の無関心や、まだ知られていない事実を、ウトロから発信していきたい」と訴えました。

温かい「オモニ」の味と笑顔あふれる日常

取材・見学を終え、帰ろうとしたら、スタッフの方々は「ご飯食べていきな」と昼食まで振る舞ってくださいました。そこには、「オモニ(朝鮮語で母親という意味)」と呼ばれるおばあちゃんが、家で作ったおかずを持ってきてくれており、スタッフの皆さんと一緒にいただきました。特に印象的だったのは、団地の庭で育てられた「ごまの葉」です。少しピリ辛で、白いご飯との相性は抜群でした。

誤解を越え、本来の姿を知るウトロへ

ウトロ地区は、時折「危険な場所」や「行ってはいけない場所」として報道されることがあります。しかし、祈念館の展示の最後には、ウトロに住む住民の皆さんの笑顔が壁一面に描かれています。実際に訪れてみると、そこは危険な場所などではなく、誰に対しても温かく、笑顔があふれる素晴らしい地区でした。ウトロが持つ本来の魅力と、そこに暮らす人々の温かさが、もっと多くの人に伝わることを願っています。